台詞はリズム……「華岡青洲の妻」。 

 

REMI5427-2.jpeg
………………………………………………………………………………………………………………………………………………………………

 「それを加恵(かえ)さんはぁ……知ってなしたんかのしぃ。」

舞台「華岡青洲の妻」の第三幕の幕切れ、青洲の母、於継(おつぎ)の台詞です。
姑の於継と嫁の加恵(かえ)はまるで青洲の愛情を独り占めするための手段のように、
競い合って実験段階の危険な麻酔薬を飲みます。
いくら今だに若々しくて美しい母とは言え、年寄りには強い薬を飲ますまいと、
青洲は母の於継には眠り薬のように弱い薬を、妻の加恵には本当の実験用の強い薬を飲ませます。
最初に飲んだ薬によって目を傷めた加恵は、次に飲んだ薬で完全に盲目になってしまいます。
薬を飲んだ後の寝起きがいい方があたかも女として、また、人間として優れている、
それが嫁の加恵に勝った証かのように、青洲の愛情を独り占め出来るかのように錯覚していた於継。
てっきり加恵と同じく強い薬を飲んでいたものと思い込んでいます。
勿論、自分の時は目覚めも良く、「目が痛い。」と青洲に訴える加恵を、
折角の実験なのに何といたらない嫁、矢張り自分の方が優れていると……。

 「同じ薬を飲んだのに、なんで加恵さんだけが……。」

と、言う問いに青洲は絞りだすような声で……。
 
 「加恵の方が強い薬をのんでましたんやぁ!」

息子の口から出た衝撃の言葉、事実に於継は絶句し、件の台詞になる訳です。
息子の実験のためと言いながら、実は、この時点でもまだ嫁に勝つことばかりを考えている於継。
於継の思わず口をついて出た質問に勝利の微笑みを薄らと口元に浮かべ頷く加恵。
絶句し、身体を震わせ号泣しその場に崩れ落ちる於継……。
於継がまるで枯木が倒れるように亡くなったのはそれからスグのことでした。

この名場面が第三幕の終わりになり、第四幕目は於継の出演シーンはありません。
この原作にはない台詞、これを抑揚たっぷりに、大見得を切って歌い上げることによって、
第四幕に於継は出ない訳だけれど、その存在感を最後まで引っ張る大事な台詞です。
於継を当り役とした杉村春子は、一幕から三幕まで、流暢な紀州弁を駆使し、
リズム感タップリの抑揚を付け、流れるような台詞回しで観客を魅了します。
その台詞術の心地よさはまるでオペラのアリアのよう。

舞台は華岡家の玄関先から通じる広間だけの一杯道具。
舞台上で杉村春子が長女の於勝に手伝わせながら着物を着替えるシーン、
紀州弁で台詞を言いながらアッと言う間に着替えてしまう、
そのあまりの早さと見事さに場内からは大拍手が起きる場面もありました。

今では殆ど話す人もいないであろう江戸時代の紀州弁、
おそらく基本は関西弁で、語尾に接尾語の「のし」「よし」「とし」などが付きます。
この紀州弁に俳優陣は非常に苦労し、
自分の言葉にするのに並大抵な努力を強いられたとか……。
杉村さんも僕にこう仰言られていましたっけ。

 「そりゃぁ、アナタ。本当に大変でしたよ。
  だって、そんな昔の紀州弁なんて聞いたことないですからねぇ。」

話しを於継の最後の台詞に戻すと、
「加恵さんはそれを知っていたのかのし。」ではなく、
「それを加恵さんはぁ……知っていたのかのしぃ。」とするところに、
舞台を知り尽くした作者の有吉佐和子のテクニックとケレン味があります。


麻酔薬の開発に躍起になる青洲、
犬や猫の動物実験では成功を収めるものの、残るは人間による実験のみ。
そこに青洲の愛情を独り占めしようと必死の嫁と姑が名乗りを上げます。

於継 「麻酔薬の人体実験は 私(うち)を使ってやりなさい。」
加恵 「とんでもないことでございますよし。
    その実験には私を使って頂こうと かねてから心に決めていましたのよし。
    あなた、私で試して頂かして。」

加恵 「姑にそんなことをさせたら嫁の道が立ちません。私を使って頂きますよし。」
於継 「嫁の道が立つときは、姑の道が立たんのですよし。
    云い出したのは私なんやよってに、私が使ってもらいますよし。」

於継 「姑に逆らいなさるのかのし。」
加恵 「はい。事と次第によっては、女の道に外れるとは思いませんのよし。」

それまでは決して正面切って言葉でぶつかることがなかった於継と加恵、
真綿に包んだ針や薄布に隠された研ぎすまされた刃のような迂遠な言葉の応酬はあったけれど、
ここに来て初めて心の底の憎しみを畳み掛けるように直接相手にぶつけます。
それも夫を、息子を思いやるそれぞれの愛情と言うオブラートに包んで、
青洲を思わんばかりのために、麻酔薬のためにと言う大義名分の上に立って酔うように……。
加恵は姑を「老い先短い」「お齢を取り忘れたお方」、
お継は加恵を「女の子一人しか生んでいない役立たず」、
「夫の欲していることも分からない阿呆」と誹る……。

小さい頃、美しくて賢いと噂の於継を一目見たくて乳母に懇願し、
わざわざ隣村まで足を延ばし、こっそりと垣根越しに、
白い曼陀羅華(まんだらげ・朝鮮朝顔)が咲く薬草園で初めて見てから、
あまりの美しさに憧れ続け、青洲が京都に蘭学の勉強で留守中に、
於継によって見初められ、姑と嫁が相思相愛で夫の不在中に一人嫁入りして来た加恵……。
その仲の良さ、睦まじさは、於継自身が、

 「我が腹を痛めたのでもないのにお母(か)はんと呼ばれ、
  私(うち)も実の娘以上に愛しと思うのですよってに この因縁は、
  まあ はかり知れやんほど深いものなんですやようのし。」と、言わしめ、

実の娘のお勝と小陸をして、
  
 「なんや、私(うち)ら急に継子(ままこ)になったみたい。」と嘆かせるほどでした。

まだ見ぬ夫が、最愛の息子が不在中はこの上なく上手く行っていた嫁と姑の関係が、
息子、青洲が京都から帰って来ると一変します……その手の平返しの演技の素晴らしさ、
理屈ではなく息子を思う気持ちから自分が見初めて懇願して迎えた嫁を本能で憎んでしまう於継………。
劇場内の女性はそれぞれ嫁と姑の立場に自分を置き換え、
自分の気持ちに照らし合わせ大きく頷き、共感し、愕然とし、
男性は我が身を振り返って、果たして自分の家はどうなのだろうかと戦々恐々とします。

於継ぎ亡き後、首筋に出来た血瘤に苦しむ小陸に、

 「目が潰れるほど強い薬、恐い薬と知りつつ
  お母はんと薬を飲み比べしたのは何でですのん?」

と、詰め寄られ、薬のために完全に盲目になった加恵は、

 「お母さんは賢い立派な方やったと、心底から思ってますのよし。
  私はお母さんに育てられたんやしてよし。泥沼だったなどと滅相もない。
  私ほど姑運のいい嫁はこの世にいないと思うていますのよし。」

と、答えます。それを聞いた小陸は一言、
 
 「それは嫂(あね)さんが勝ったよってやわ。」と言います。

………………………………………………………………………………………………………………………………………………………………

華岡青洲…………。

1804年に世界で初めて麻酔薬による外科手術を成功させた紀州の外科医。
今ではクイズにも出題され知名度はなかなかのものですが、
その麻酔薬を完成させるまでの秘話はあまり知られていません。

青洲の母、於継と妻の加恵…………。

二人が自分の身体を競って人体実験に提供したという美談は有名でも、
その陰で陰々欝々と繰り広げられていた嫁と姑、女と女の戦いはあまり知られていません。
才女、有吉佐和子がそこに材を取り書き上げた「華岡青洲の妻」。
これほど迄に人気を博し、長年に渡って愛読され、テレビ化、映画化され、
舞台化されるも、再演につぐ再演を繰り返す最大の理由は、
いつの世も変わらない嫁と姑の問題、どの家も抱える嫁姑の問題もあるのでしょうけど、
ひとつは有吉佐和子の心の襞、感情の起伏の一つ一つを抉り出し、
分析するように書き上げた小説を題材に、自らの作品を遠慮なく切り刻み、
無駄を一切削ぎ落とし、戯曲として再構築した手腕と度胸、
舞台を知り尽くした上での作劇法があまりにも見事だったから他ありません。

杉村春子の於継があまりにも見事だったことから、ついぞ忘れられがちなのは、
タイトルにあるように、実は青洲の妻、加恵が主役のこの舞台、
大人しいけれどしっかりものの小姑、小陸の最終幕の台詞、

 「嫂(あね)さん、私(うち)は細大もらさずみんな見ていましたのよし。」にもあるように、

姑、於継と妻、加恵の氷の刄のような凄絶な確執を、常に脇から小陸に冷静に見させることによって
二人ののきさしならない関係が浮き彫りになります。芝居において脇役が非常に大事な好例です。
我先を競って麻酔薬の実験台になろうとする於継と加恵、
二人の関係を知っているハズなのに黙りを決め込み、まんまと人間の実験台を得る青洲の男のズルさ。
今も昔も変わらぬ家族関係の難しさ、嫁と姑の問題、男と女の問題……。
「華岡青洲の妻」は、そんな誰しもが抱えている問題を凝縮して目の前に提示してくれる傑作戯曲です。

………………………………………………………………………………………………………………………………………………………………

その杉村春子さんの誕生日にあたる1月4日……。
箱根の帰りに日本橋三越劇場にて新派公演「華岡青洲の妻」を観て来ました。
加恵を演じたこともある、水谷八重子がお継を好演。
波乃久里子の丁寧な小陸が最終幕まで舞台をキッチリと引き締めます。
喜多村緑郎の男気、なかなかのものでしたが、
今回、一番の収穫は、矢張り歌舞伎の世界から新派に移籍した、
喜多村一郎の鮮やかな口跡と、惚れ惚れする男前な立ち姿でしょうか。
現代劇からシェークスピアまで何でもこなせてしまいそうです。
まだまだ若い喜多村一郎の今後の活躍が楽しみです。



僕は何一つ親孝行をしないまま母に先立たれてしまいましたが、
母には嫁と姑のゴタゴタを味わわせることなかったのですから親孝行出来たと言えるでしょうか?(笑)
皆さんも是非、機会がありましたら恐ろしい嫁と姑の話しを覗いてみて下さい。


2017年1月19日


ブノワ。


★Copyright © 2005~2017 nioinoiihanataba, All Rights Reserved.
スポンサーサイト

category: 天井桟敷の人々。

tb: 0   cm: 4

△top

コメント

 

のしのし

ブノワ。さま、こんにちは。
初春新派公演、ワタクシも観て参りましたよし。見た直後は、そう喜多村一郎にメロっとなりました!でもしばらくしてから、しみじみと思いましたのし。新派に移籍した喜多村緑郎、河合雪之丞、よりもよりも、水谷八重子、波乃久里子の存在感が圧倒的だったと。おばさん二人がなんだか、愛すべき可愛い女に見えたなあと。そして結局のところ、有吉佐和子先生と華岡青州はすごいお人だと。そして、杉村春子さんの舞台も観てみたかったです。

Coucou #NMJSpOmY | URL | 2017/01/20 09:01 | edit

うん、この話は小説読んで映画もみました。
杉村春子の於継と加恵は若尾文子が演じたモノクロ映画だったでしょうか?
記憶が違っていたらすみません。
凄い確執のありように、本を放り投げたくなったほど。
嫁姑が、息子をめぐって、ここまで争うのか、と思ったら
呼吸が苦しくて、結婚が恐ろしくなったほどでした。

もっと驚いたことは、高校時代に全国読書感想文に「華岡青洲の妻」を
題材に感想文を書いて入賞した同級生がいたことでした。
本を読んだ後の感想として、17~8歳の青春真っ盛りの彼女に
どれほど嫁姑の確執の深さと憎しみ・怨念が理解できたのだろうか
ということでした。
私は結婚した後、もう一度読んで、息子を愛してやまない母親にとって、嫁は七代先までの仇のように思える存在なのだなということでした。

現代はどうでしょうね。
女親は娘と同居したがり、息子との同居を望むのは、私の親たちの世代ぐらいでしょうかね。
嫁姑の価値観が違うあまり、やはりぎくしゃくした暮らしがあって、決して
望ましい環境でもありません。

私も、夫の両親とは暮らしませんし、夫の妹が同居しております。
ま、それには深い深い悲劇もあったのですが。

映画で見た、杉村春子と若尾文子の演技も背筋にゾクゾクと来るものが
ありましたよ。

hibari #O5sb3PEA | URL | 2017/01/20 19:36 | edit

よしよし。

Coucouさんへ。
おはようございます。メッセージどうもありがとうね。
今日はポカポカですね……眠くて仕方ありません(笑)
Coucouさんもご覧になったんですね。鉄板の戯曲ですよね。
喜多村一郎って本当に姿がいいです。メロって来ましたか(笑)
杉村さんの舞台は家のどこかにビデオがあるハズ……。
捜索は至難の業ですが、見付かったらお貸ししますね。
歌い上げるような台詞回し……それはそれはもう見事でしたから。

ブノワ。

ブノワ。 #- | URL | 2017/01/30 11:11 | edit

チョッと記憶違いです。

hibariさんへ。
おはようございます。まるで春を思わせますね……。
このポカポカ陽気の中、如何お過ごしですか?
さて、映画版ですが、市川雷蔵が青洲で、加恵が仰せの通りに若尾文子。
お継は残念ながら高峰秀子です。杉村さんはナレーションだったんですよ。
矢張り、全盛期の映画の場合、観客動員を考えてのことでしょうね。
杉村さんの方が断然面白いと思うんですけどね。
そうそう、木下惠介の「女の園」の高峰三枝子の役も最初は杉村さんだったんです。
そう言う例って沢山ありますね。杉村さんは矢張り舞台の人ですから。
高校時代に「華岡青洲の妻」で感想文→入賞は凄いですね(笑)
おませな子でしたか?小さな頃から身の回りで同じようなことを見聞きしていたりして。
hibariさんが仰有る、現代はどうなのでしょうって言う疑問……。
核家族とか言われていますけど、僕のところは元々核家族だし、
親戚付き合いもないのでよく分かりませんが、
電車でよく見掛けますね。母と娘が仲睦まじいのは。
2人とも同じ顔していますからスグに分かります(笑)
買い物とかでしょうね……これが嫁だとそうは行かないのかな?
何れにせよ、僕はそういう経験がないので幸せなのでしょう(笑)
始発の電車に乗ると、シルバーの方々の出勤を重なりますが、
漏れなく嫁の悪口を大きな声で話していますもんね(耳が悪いから声デカい!)
寒暖差が激しいです。hibariさん、風邪引かないでね!

ブノワ。

ブノワ。 #- | URL | 2017/01/30 11:21 | edit

△top

コメントの投稿

 

Secret

△top

トラックバック

 

トラックバックURL
→http://nioinoiihanataba.blog.fc2.com/tb.php/396-fd7a7ad6
この記事にトラックバックする(FC2ブログユーザー)

△top