演劇の醍醐味……「子供の事情」。 

 

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演劇の醍醐味って何でしょう……。
それは矢張り、役者の声。そして、躍動感溢れる身体の動きでしょうか。
老練な役者の指の先まで神経が行き届いた熟練の演技術も素敵だし、
デビューしたての若い役者の、絶対に演技では表現出来ない爽やかさを感じるのもまた良し。
最近はマイクロフォンの発達で、発声など、さして舞台の訓練が出来ていないタレントも、
その多くが魅力を振りまきファンを熱狂させています。
まぁ、それも舞台の楽しみの一つですかね……。
好きな役者、タレントを自分の目で見られるって言うこと。

そして、舞台の最も素晴らしい瞬間って、
役者と観客席が一つになること……この醍醐味を一回味わってしまうと、
もう舞台芸術の魔法から逃れられることは出来ません。
役者の魔法に掛かり、同じ時代を生き、一緒になって嘆き、哀しみ、
そして笑い、涙する……これを至福と言わずして何と言いましょう。



チョッと前になります……。
三谷幸喜作、演出による「子供の事情」を観に行きました。
一般発売前に出演者に頼んでも希望の日が取れないくらいのプラチナ・チケット!
それもそのハズです……大泉 洋、天海祐希、吉田 羊、小池栄子、林 遣都、
春海四方、小手伸也、青木さやか、浅野和之、伊藤 蘭……。
年齢も境遇も違う役者たちが、皆さん10歳になっての熱演です(笑)

はじめはね、全然10歳に見えないの(爆)
子供服は着ているんですけど、誰、この用務員のオジさんは?みたいなね(笑)
初めから少女に見えたのは、吉田 羊くらいかな?
それがみるみるうちに子供になって行く訳。
子供になるって言うよりも、僕らが彼らの芝居に騙されて行くのね。
それって物凄く心地いいんです。だって、観客って騙されに劇場に通う訳ですから。
出演者それぞれの10歳の役作りも面白かったし……。

伊藤 蘭なんて、子役で大スターの役なんだけど、
1人だけ超厚塗りの巻き髪スタイルで、嬉々として少女スターを演じるのね。
一歩間違うと「何がジェーンに起こったか?」になっちゃういんだけど(笑)
彼女がスターとして生き抜いた「キャンディーズ」を踏まえて、
観客はそこに10歳の少女スターを重ねて見る訳。

大泉 洋って達者ですねぇ……。
彼は喜劇畑の人なんだと思うけど、
同じく三谷幸喜の大河ドラマ
「真田丸」のシリアスな演技!
これでさらに役の幅を広げ、魅力が一層、増したのですが、
ここでもピカイチの達者振り&歌声を披露。

僕は日本のソフィア・ローレンだと思っているのだけれど、
小池栄子の天真爛漫さ、子供ならではのチョッと悪ぶり。
もう少し緩急付くと面白いんだけどな……。
今回はチョッと直球一本やりだった感があります。


終幕、これはこの劇場ならではの豪華極まりない演出なんですが、
一般的に劇場はそのステージと同じ広さを両袖に、
そして、舞台の奥にもう一つ分同じ広さのスペースがあるのが望ましいとされています。
子供たちがワイワイがやがややっていると、
教室の一杯セットの舞台が奥に、奥にとスライドして行きます。
何と奥に2つ分も引っ込んで行き、そこから役者たちがダァ〜っと走って来て幕になる……。
その瞬間、それまで大して10歳の子供に見えなかった役者たちも、
いきなり10歳の子供になってしまうマジック。背丈まで小さく見えるの。
観客は自らの10歳の時のことを思い出し、
登場人物に重ねあわせ、追体験をする……。

こんな幸せはなかなか味わえません。
やっぱり舞台はいいなぁ……再演があったらもう一回観に行きたいなぁ……。
チョッと幸せな一時でした。


写真はこの前訪れた、大阪は新世界での1枚。
名前忘れちゃった……メガ盛りで有名な店先で撮りました。
「That's 子供」ですね(笑)捲りますよね、子供は(爆)


2017年8月25日


ブノワ。


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ふるあめりかに袖はぬらさじ。 

 

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杉村春子さんには色々なことを教えて戴きました。
僕は役者ではないので、同業者として、役者のあれこれではないけれど、
人生の大先輩として、所謂、背中を見て覚えるって感じでしょうか……。
面白いエピソードは前に書きましたよね。

その杉村さんの新しい本が出ました。
川良浩和著「忘れられないひと、杉村春子」です。
知らなかった生前の杉村さんの姿が垣間見れて大変に興味深かったです。
杉村さん関連の本は沢山出ていて、自著、評伝を含めると10冊近くになります。
興味深いのは、杉村さんは「杉村春子」のタイトルで、
高橋克郎と春内順一の写真集が2冊が出ていることでしょうか。
勿論、杉村さんはグラビア・アイドルではありませんから、
2冊とも舞台の杉村さんを収めた貴重な写真集になっています。
写真を撮るために、わざわざ照明を当て、ポーズを取ることなく、
実際に舞台で演技をしている、その一挙手一投足を撮影。
笑う顔、泣き崩れる姿……どの瞬間を切り取っても美しいのが凄いです。

前にも書きましたが、杉村さんは「形」の人だと思います。
新劇の枠に捉われず、新派の喜多村緑郎に教えを請うたり、
歌舞伎役者、尾上松緑と共演したりするうちに形成された美しい「形」……。
「形」を通して、女の美しさとはこうあるべきだと提示します。
演劇のどの形にも属さない独自の「形」を持った唯一無二の存在、
新派公演に客演した時、花道を出て来た杉村さんに「杉村!」の声が掛かります。
日本の演劇史上においても希有な存在、真の大女優だと思います。



さて「忘れられないひと、杉村春子」の中にも記述があった、
有吉佐和子の傑作戯曲「ふるあめりかに袖はぬらさじ」の舞台を観てきました。
言わずと知れた、有吉佐和子が杉村さんに当てて書いた傑作戯曲です。
主演は大地真央。他に、佐藤B作、鷲尾真知子、横山 正、斉藤 暁、
浜中文一、中島亜梨沙など。演出は宝塚歌劇団の原田 諒。

大好きな戯曲なので、大慌てでチケットを取りましたが、
チケット・センターに電話をしてチケットを無事にゲット!
電話を切った瞬間、チラシを見て大きく深く激しく後悔しました。
お、お、お、お、音楽劇……って一体?(苦笑)
勿論、戯曲はテキストですから、どのように料理するかは演出家の自由です。
シェイクスピアの「ロミオとジュリエット」からは優れたミュージカル、
「ウエスト・サイド・ストーリー」が生まれ、
その他にもあらゆるジャンルにわたって作品が生まれています。

ただ、いきなり幕があがると芸者衆を引き連れた大地真央のレビュー……。
その後も、合間合間に挟まれる歌が興を削ぎます。戯曲の流れを断ちます。
決定的だったのは、最終幕、お園が勤王の志士たちに脅され、
雨にびしょぬれになりながら言う幕切れの台詞。
腰は抜け「あぁ……怖かった。」と震えながら、
お銚子から余った酒を小鉢に移してグビグビとあおり、

 「抜き身が怖くて刺身が喰えるかってんだ!」

と、啖呵を切ります。
一人で生きて来た三味線芸者の心細さと強がりが垣間見える、
この戯曲の一番の見どころ、たった1人の大ラストシーンです。
しかも杉村さんは客席に背中を見せながら演じます。
そして、最後の名台詞……。

 「このお園さんと来た日にゃ、袖からなにまでびしょぬれだよ……。」

次第に強くなる雨の音……。
 
 「それにしてもよく降る雨だねぇ……。」

この2つの大事な大事な台詞の間に思った通りに歌が入るの。
この圧倒的な間の悪さとセンスのなさ(苦笑)
死にかけている猫の娼婦が大声で歌を歌う「Cats」」似ている(苦笑)
ここで歌を入れるかい?どんなセンスしているんだか。
戯曲はズタズタに切り刻まれ、死んだ花魁が出て来て歌い舞ったり……。
解釈は自由ですが、吉原から品川、そして横浜に流れ着いた、
三味線の腕はピカイチだけど、男と酒で身を持ち崩した三味線芸者、
お園の悲しさと、苦界で身を粉にして働く人々の悲哀なんて言うものは微塵も感じません。

そう、この戯曲の最大の魅力はお園の人間臭さです。
有吉佐和子が杉村さんの普段の言葉使いを元に当て書きしたのです。
生身の人間、流れに流れて来た三味線芸者の悲喜こもごもが魅力なのに、
美しいことだけに執着した大地真央からは人間臭さが感じられません。
それは致命傷です。お園は美しくある必要はないのですよ。

もう冒頭から怒り心頭だったのに、紛々たるこの思いをどこにぶっつけよう。
大地真央を美しく見せるためだけの題材に選ばれた悲劇の戯曲。
較べてはいけないけれど、芸術って比較文化ですからね。
どの瞬間を切り撮っても美しかった杉村春子と、
美しく見えることだけに腐心しているように見える大地真央。
自然に転んだように見える「形」で着物の褄が捲れて美しく見える杉村さんと、
転ぶ際に褄を両手で捲るようにして転ぶ大地真央の差。

 「二上りでしたかねぇ……。」

但し、ピンで三味線を弾きながら堂々と大きな声で歌う様はお見事。
三味線を弾きながら歌う乗ってなかなか難しいのです。

何が何でも杉村春子が一番と言っているのではありません。
有吉佐和子が杉村さんに当てて書いた傑作戯曲だと言うことを忘れてはいけません。
その自分の言葉で当て書きされた杉村さんでさえ、
後半の講談調のところは恥ずかしくてなかなか思い切り出来なかったとか。
魅力的だけれどそれだけ難しい戯曲だと思うんです。
役を演じきり美しく見えた杉村さんと、美しく演じることに執着した大地真央。
こちらは較べることの方が酷ですか……。
観劇料13000円……これをどう思うか?悩ましいです。

写真は我が家のお園ちゃんね。


2017年8月2日


ブノワ。


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大女優の条件……麻実れい。 

 

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 「そうだねぇ……先ず、春子さんね。」

最近はめっきりと出歩かなくなり、
行きつけのバーも殆どなくなってしまいましたが、
唯一、新宿に出掛けると無理をしてでも顔を出すバーがあります。
映画、演劇、文筆業の方々が客筋の隠れ家的バーです。
当然、マスターもそちらの方には造詣が深く、
可成り辛辣な意見を言うことでも有名です。
辛辣と言うのは生易しいかな……可成りの毒吐きです(笑)
遊びに来る女優たちは全て名前を呼び捨て(笑)
もっとも、その毒の陰には深い愛情が隠されているんですけどね。

気心しれたマスターと、いつも話題に上るのは女優のこと。
日本においての大女優とは誰のことか?
そのマスターの答えが冒頭の台詞になります。
僕も全く依存はありません。先ず、名前が挙がるのが杉村春子です。
若い人や舞台をあまり見ない人は怪訝な顔をするかもしれませんし、
往年の杉村春子の類い稀なテクニックを知る人も少なくなって来ましたが、
先ずは杉村春子……圧倒的でした。新派の喜多村緑郎(初代)や、
花柳章太郎から伝授された女形の「形」の美しさは別格で、
それを新劇の中に生かした、一種独特の芝居は他の追随を許しませんでした。
そう、杉村さんの凄いところは「形」があったこと。そして抜群の台詞術。
もっとも、仕方ないなぁと思うのは、彼女が作った文学座の中堅どころの俳優でさえ、
往年の彼女の舞台を観たことがない人が多いこと……時代は変わりました。
杉村さんの凄いところは、役者の本懐である舞台で大スターだったこと。
それから舞台のみならず、映画においても非常に重要な役割を果たしたこと。
主役作品こそ少ないですが、名だたる名監督に愛され使われ、
日本映画史に燦然と輝く存在です。舞台、映画のみならず、
テレビでも活躍した大スターでした。
僕の持論ですが、大女優の条件とは、1人で悲劇を1本背負って立てること。
それが大女優の条件、それ以外のなにものでもありません。

他に名前が挙がったのは、山田五十鈴、高峰秀子、
京 マチ子、田中絹代、若尾文子……などなど。
山田五十鈴以外はほとんどの方が映画の世界の大スター。
大女優と言う呼び方よりも大スターの方が相応しいかな?
娯楽の王さまが映画だった頃がしのばれますね。
大女優とは……この話題はいつも大盛り上がりなんです(笑)



さて、現代の大女優、麻実れいの「炎 アンサンディ」の再演を観て来ました。
初演と同じスッタフ、キャストの再演です。
少し前に惜しまれながら亡くなった平幹二朗の最大の美点はその声でした。
劇場に朗々と響き渡るその声に、観客はウットリと酔いしれたものです。
今、女優で、唯一、その声に匹敵するのは麻実れいです。
今回も十代から亡くなる六十代までの悲劇の女性の運命を、
それほど声色を使うことなく、圧倒的な台詞術で見せてくれました。
初演の時のラストで、ぽぉ〜ンと突き放されたように感じて、
大きく揺さぶられた心をどう納めていいか分からなくなり戸惑った観客も、
今回の再演のラストの変更によって、一旦は放り出された心を、
最後の麻実れいの卓越した台詞(声)で納まるところに納めて貰った……。
そんな感じがしました。劇場を大きく包み込む圧倒的な声。
全く同じキャストによる再演も、よりこなれて解釈が深まったように感じます。


今回は2回ほど鑑賞しました。
千秋楽では拍手が鳴り止まず、何度も何度もカーテンコールが……。
偉大な女優と同じ時代を生き、新作を待ち焦がれることが出来る幸せ。
この夏には「Other Desert Cities」があります。
演出、熊林弘高、麻実さんの他に「炎 アンサンディ」で共演した中島しゅう、
それから「おそるべき親たち」で素晴らしい演技を見せてくれた佐藤オリエ共演。
こちらも本当に楽しみです!

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今日の1枚目は、昨日の午後に撮ったばかりの「Rei」。
ダマスク・モダンの素晴らしい匂いがします。
薔薇の匂いはこうあるべきと言わんばかりに匂い。
美しい姿に素晴らしい匂いを期待して……決して裏切らない匂い、
2枚目の写真は前にもお見せしましたね。
前の公演の時でしたが、栽培がヘタクソな僕が必死に育てた薔薇を花束にして、
麻実さんの楽屋に差し入れです。大層、喜んでくださったそうです。
落ちた花びらは洗面のボウルの廻りに飾ったり、ドライにしてご自宅に持ち帰られたとか。
偉大な女優に薔薇の名前を戴いた身に余る光栄。
今にして思うとまるで奇跡のようです。


2016年5月8日


ブノワ。


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なぜもこう貧弱なのか? 

 

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いよいよ春らしくなって来ました。皆さん、庭の準備は万端ですか?
芽吹いた新芽、土の中から顔を出す球根類の新芽は本当に愛らしいですもんね。

僕は3月は年度末でバタバタ、昨日、何をしていたか全く覚えていない記憶喪失状態、
疲労困憊で死亡寸前でございます(笑)時間的な余裕がないのにも関わらず、
3月は誕生があるのでお祝いの席が目白押し、お祝いメールも目白押し。
来月は友人が出演する芝居が目白押しで、さらに疲れに拍車をかけています。
演劇って春と秋がシーズンらしいですね(苦笑)
まぁ、いい舞台に出て顔が輝いている友人の顔を見るのは嬉しいものですけどね。


さて、今日はこのブログで最も人気がないカテゴリー、
映画&演劇、劇場にまつわるあれこれについてチョッと……。


と言っても、映画、演劇評ではなくて、今日のお題は劇場の施設について。
皆さんはお気に入りの劇場とか映画館ってありますか?
諸々の雰囲気、立地条件、スタッフの感じの良さ等……。
映画館なんかだと、立地に寄っては客層が全然違いますからね。
僕は出来れば六本木とか新宿には行きたくない(笑)
両方ともポップコーン率が高くなって上映中の雑音に繋がるの。

さて、いつも思うんですけど、劇場って女性のトイレが圧倒的に少ないですよね。
男性と違って女性の方が用を足す時間が掛かるって言うこともあるけれど、
赤坂ACTシアターなんか幕間にロビーに長蛇の列。
幕が降りるか降りないかのうちに脱兎の如くトイレに走る女性たち……。
ロビー、凄く狭いのに、ダァ〜ッと長蛇の列(苦笑)しかも最後尾に、
「トイレ待ちの最後尾はここです。」みたいな看板を持った係の青年が……。
僕が女だったらトイレに並んでいるところを人に見られたくないなぁ……特に恋人にはね。
デリカシーないし情緒もない。100年の恋も醒めちゃうじゃない?
好きな人にはそう言う下々のことは全くないと思われたいじゃないですか(笑)

その昔、武道館にフリオ・イグレシアスが来た時に友人が目撃した光景……。
男子トイレにオバちゃんたちが大挙して押し掛けてきたそう(笑)
待てなかったんでしょうね(笑)我慢できなかったんでしょうね……。
友人曰く、まさになだれ込んで来るように我先にオバちゃんたちが入って来たそう(笑)
とうとう我慢出来ず、皆で入ればコワくない的な心理も働いたのでしょう(爆)
友人たちは便器の前でズボンのファスナーを開けて……な訳です。
可成りコワかったそうですよ。その年代になると恥とかの感覚もなくなっちゃうのでしょうか。

不満を言いだしたらキリがないけど、最後に一つだけ……。
劇場の椅子ってどうしてあんなに狭くて座りにくいんでしょう?
日本人の体格って近年、格段に良くなってきているのに……。
大柄な2人が並んじゃうと窮屈そのもの。肩身の狭い思いをしなければいけません。
ダークダックスをやらないと行けない訳……チョッと古いか(笑)
小劇場系の芝居で折り畳みのパイプ椅子に座らされることもあるけれど、
こちらは入場料と芝居の規模を考えれば文句は言えないのですが、
日本を代表する大劇場の椅子!先ず、芝居を見る環境ではないですよね。
内装が豪華絢爛たる「日生劇場」も椅子が貧弱……。

思わず頷いちゃう人もいると思うけど、
とっくに閉館になった「シネマスクエア東急」の1脚4万円以上する、
背もたれから出た頭を支える余計な部分の角度が非常に不愉快だったフランス製の椅子。
後頭部を後ろから押さえつけられているみたいで何とも居心地悪かったです。
映画館って座席の後方と前方ではスクリーンを見上げる角度が違いますからね。
こちらも閉館になった「セゾン劇場」の座面が途中から折れるタイプの最悪の椅子!等々、
これは参った……ちょうどふくらはぎのところに異物がある感じ。
椅子に座るポジションって人それぞれですからね。
劇場の椅子に関する不満は枚挙にいとまがありません。

僕、世田谷パブリックシアターが好きなんですが、ここも重厚な内装に反して椅子が小さくて貧弱。
特に2階席3階席は最悪です。椅子が小さくて前の列との感覚がエコノミークラス級(苦笑)
映画館、特にシネマコンプレックスの椅子の方が座り心地良くて快適なのはなぜ?(笑)
恵比寿ガーデンシネマの椅子なんてとても座りやすくて全く疲れません。

人間工学だか何だか知らないけれど、
勝手に作り上げた机上の空論、ヘンチクリンなデザインが多いです。
今日の写真はパリ郊外で撮りました。RER(近郊線)B線の終点、
サン・レミ・ル・シェルヴーズ、北駅から丁度一時間くらいかな?
そこからバスで30分ほどの「ポール・ロワイヤル修道院跡」。
殆ど訪れる人もいないここは、静謐な時間が流れています。


2015年3月27日


ブノワ。


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台詞はリズム……「華岡青洲の妻」。 

 

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 「それを加恵(かえ)さんはぁ……知ってなしたんかのしぃ。」

舞台「華岡青洲の妻」の第三幕の幕切れ、青洲の母、於継(おつぎ)の台詞です。
姑の於継と嫁の加恵(かえ)はまるで青洲の愛情を独り占めするための手段のように、
競い合って実験段階の危険な麻酔薬を飲みます。
いくら今だに若々しくて美しい母とは言え、年寄りには強い薬を飲ますまいと、
青洲は母の於継には眠り薬のように弱い薬を、妻の加恵には本当の実験用の強い薬を飲ませます。
最初に飲んだ薬によって目を傷めた加恵は、次に飲んだ薬で完全に盲目になってしまいます。
薬を飲んだ後の寝起きがいい方があたかも女として、また、人間として優れている、
それが嫁の加恵に勝った証かのように、青洲の愛情を独り占め出来るかのように錯覚していた於継。
てっきり加恵と同じく強い薬を飲んでいたものと思い込んでいます。
勿論、自分の時は目覚めも良く、「目が痛い。」と青洲に訴える加恵を、
折角の実験なのに何といたらない嫁、矢張り自分の方が優れていると……。

 「同じ薬を飲んだのに、なんで加恵さんだけが……。」

と、言う問いに青洲は絞りだすような声で……。
 
 「加恵の方が強い薬をのんでましたんやぁ!」

息子の口から出た衝撃の言葉、事実に於継は絶句し、件の台詞になる訳です。
息子の実験のためと言いながら、実は、この時点でもまだ嫁に勝つことばかりを考えている於継。
於継の思わず口をついて出た質問に勝利の微笑みを薄らと口元に浮かべ頷く加恵。
絶句し、身体を震わせ号泣しその場に崩れ落ちる於継……。
於継がまるで枯木が倒れるように亡くなったのはそれからスグのことでした。

この名場面が第三幕の終わりになり、第四幕目は於継の出演シーンはありません。
この原作にはない台詞、これを抑揚たっぷりに、大見得を切って歌い上げることによって、
第四幕に於継は出ない訳だけれど、その存在感を最後まで引っ張る大事な台詞です。
於継を当り役とした杉村春子は、一幕から三幕まで、流暢な紀州弁を駆使し、
リズム感タップリの抑揚を付け、流れるような台詞回しで観客を魅了します。
その台詞術の心地よさはまるでオペラのアリアのよう。

舞台は華岡家の玄関先から通じる広間だけの一杯道具。
舞台上で杉村春子が長女の於勝に手伝わせながら着物を着替えるシーン、
紀州弁で台詞を言いながらアッと言う間に着替えてしまう、
そのあまりの早さと見事さに場内からは大拍手が起きる場面もありました。

今では殆ど話す人もいないであろう江戸時代の紀州弁、
おそらく基本は関西弁で、語尾に接尾語の「のし」「よし」「とし」などが付きます。
この紀州弁に俳優陣は非常に苦労し、
自分の言葉にするのに並大抵な努力を強いられたとか……。
杉村さんも僕にこう仰言られていましたっけ。

 「そりゃぁ、アナタ。本当に大変でしたよ。
  だって、そんな昔の紀州弁なんて聞いたことないですからねぇ。」

話しを於継の最後の台詞に戻すと、
「加恵さんはそれを知っていたのかのし。」ではなく、
「それを加恵さんはぁ……知っていたのかのしぃ。」とするところに、
舞台を知り尽くした作者の有吉佐和子のテクニックとケレン味があります。


麻酔薬の開発に躍起になる青洲、
犬や猫の動物実験では成功を収めるものの、残るは人間による実験のみ。
そこに青洲の愛情を独り占めしようと必死の嫁と姑が名乗りを上げます。

於継 「麻酔薬の人体実験は 私(うち)を使ってやりなさい。」
加恵 「とんでもないことでございますよし。
    その実験には私を使って頂こうと かねてから心に決めていましたのよし。
    あなた、私で試して頂かして。」

加恵 「姑にそんなことをさせたら嫁の道が立ちません。私を使って頂きますよし。」
於継 「嫁の道が立つときは、姑の道が立たんのですよし。
    云い出したのは私なんやよってに、私が使ってもらいますよし。」

於継 「姑に逆らいなさるのかのし。」
加恵 「はい。事と次第によっては、女の道に外れるとは思いませんのよし。」

それまでは決して正面切って言葉でぶつかることがなかった於継と加恵、
真綿に包んだ針や薄布に隠された研ぎすまされた刃のような迂遠な言葉の応酬はあったけれど、
ここに来て初めて心の底の憎しみを畳み掛けるように直接相手にぶつけます。
それも夫を、息子を思いやるそれぞれの愛情と言うオブラートに包んで、
青洲を思わんばかりのために、麻酔薬のためにと言う大義名分の上に立って酔うように……。
加恵は姑を「老い先短い」「お齢を取り忘れたお方」、
お継は加恵を「女の子一人しか生んでいない役立たず」、
「夫の欲していることも分からない阿呆」と誹る……。

小さい頃、美しくて賢いと噂の於継を一目見たくて乳母に懇願し、
わざわざ隣村まで足を延ばし、こっそりと垣根越しに、
白い曼陀羅華(まんだらげ・朝鮮朝顔)が咲く薬草園で初めて見てから、
あまりの美しさに憧れ続け、青洲が京都に蘭学の勉強で留守中に、
於継によって見初められ、姑と嫁が相思相愛で夫の不在中に一人嫁入りして来た加恵……。
その仲の良さ、睦まじさは、於継自身が、

 「我が腹を痛めたのでもないのにお母(か)はんと呼ばれ、
  私(うち)も実の娘以上に愛しと思うのですよってに この因縁は、
  まあ はかり知れやんほど深いものなんですやようのし。」と、言わしめ、

実の娘のお勝と小陸をして、
  
 「なんや、私(うち)ら急に継子(ままこ)になったみたい。」と嘆かせるほどでした。

まだ見ぬ夫が、最愛の息子が不在中はこの上なく上手く行っていた嫁と姑の関係が、
息子、青洲が京都から帰って来ると一変します……その手の平返しの演技の素晴らしさ、
理屈ではなく息子を思う気持ちから自分が見初めて懇願して迎えた嫁を本能で憎んでしまう於継………。
劇場内の女性はそれぞれ嫁と姑の立場に自分を置き換え、
自分の気持ちに照らし合わせ大きく頷き、共感し、愕然とし、
男性は我が身を振り返って、果たして自分の家はどうなのだろうかと戦々恐々とします。

於継ぎ亡き後、首筋に出来た血瘤に苦しむ小陸に、

 「目が潰れるほど強い薬、恐い薬と知りつつ
  お母はんと薬を飲み比べしたのは何でですのん?」

と、詰め寄られ、薬のために完全に盲目になった加恵は、

 「お母さんは賢い立派な方やったと、心底から思ってますのよし。
  私はお母さんに育てられたんやしてよし。泥沼だったなどと滅相もない。
  私ほど姑運のいい嫁はこの世にいないと思うていますのよし。」

と、答えます。それを聞いた小陸は一言、
 
 「それは嫂(あね)さんが勝ったよってやわ。」と言います。

………………………………………………………………………………………………………………………………………………………………

華岡青洲…………。

1804年に世界で初めて麻酔薬による外科手術を成功させた紀州の外科医。
今ではクイズにも出題され知名度はなかなかのものですが、
その麻酔薬を完成させるまでの秘話はあまり知られていません。

青洲の母、於継と妻の加恵…………。

二人が自分の身体を競って人体実験に提供したという美談は有名でも、
その陰で陰々欝々と繰り広げられていた嫁と姑、女と女の戦いはあまり知られていません。
才女、有吉佐和子がそこに材を取り書き上げた「華岡青洲の妻」。
これほど迄に人気を博し、長年に渡って愛読され、テレビ化、映画化され、
舞台化されるも、再演につぐ再演を繰り返す最大の理由は、
いつの世も変わらない嫁と姑の問題、どの家も抱える嫁姑の問題もあるのでしょうけど、
ひとつは有吉佐和子の心の襞、感情の起伏の一つ一つを抉り出し、
分析するように書き上げた小説を題材に、自らの作品を遠慮なく切り刻み、
無駄を一切削ぎ落とし、戯曲として再構築した手腕と度胸、
舞台を知り尽くした上での作劇法があまりにも見事だったから他ありません。

杉村春子の於継があまりにも見事だったことから、ついぞ忘れられがちなのは、
タイトルにあるように、実は青洲の妻、加恵が主役のこの舞台、
大人しいけれどしっかりものの小姑、小陸の最終幕の台詞、

 「嫂(あね)さん、私(うち)は細大もらさずみんな見ていましたのよし。」にもあるように、

姑、於継と妻、加恵の氷の刄のような凄絶な確執を、常に脇から小陸に冷静に見させることによって
二人ののきさしならない関係が浮き彫りになります。芝居において脇役が非常に大事な好例です。
我先を競って麻酔薬の実験台になろうとする於継と加恵、
二人の関係を知っているハズなのに黙りを決め込み、まんまと人間の実験台を得る青洲の男のズルさ。
今も昔も変わらぬ家族関係の難しさ、嫁と姑の問題、男と女の問題……。
「華岡青洲の妻」は、そんな誰しもが抱えている問題を凝縮して目の前に提示してくれる傑作戯曲です。

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その杉村春子さんの誕生日にあたる1月4日……。
箱根の帰りに日本橋三越劇場にて新派公演「華岡青洲の妻」を観て来ました。
加恵を演じたこともある、水谷八重子がお継を好演。
波乃久里子の丁寧な小陸が最終幕まで舞台をキッチリと引き締めます。
喜多村緑郎の男気、なかなかのものでしたが、
今回、一番の収穫は、矢張り歌舞伎の世界から新派に移籍した、
喜多村一郎の鮮やかな口跡と、惚れ惚れする男前な立ち姿でしょうか。
現代劇からシェークスピアまで何でもこなせてしまいそうです。
まだまだ若い喜多村一郎の今後の活躍が楽しみです。



僕は何一つ親孝行をしないまま母に先立たれてしまいましたが、
母には嫁と姑のゴタゴタを味わわせることなかったのですから親孝行出来たと言えるでしょうか?(笑)
皆さんも是非、機会がありましたら恐ろしい嫁と姑の話しを覗いてみて下さい。


2017年1月19日


ブノワ。


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俳優の格……「かもめ」に思う。 

 

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ある一枚の写真を見て驚きました……。
今、絶賛上演中の「かもめ」の宣伝用のキャストの集合写真です。
まるで、チェーホフが「モスクワ芸術座」の面々と本読みをしている時の有名な写真と同じ構図です。
何と言う洒落た遊び心!いやがうえにも期待が膨らみます。
今、日本で最も信頼のおける、演出、熊林弘高と、上演台本、木内宏昌のコンビですしね。
佐藤オリエさんから1年くらい前から台本作りに参加していると伺っていましたし……。

アントン・チェーホフ作の「かもめ」……原作には「喜劇4幕」とあります。
今まで来日した「モスクワ芸術座」をはじめとして、数多くの「かもめ」を観てきましたが、
この「喜劇」を感じることは殆どありませんでした。
演出としての笑いではなく、台本そのものから匂い立つ喜劇のエッセンス。
そこはかとなく漂う喜劇の匂いを「かもめ」から感じたのは初めてでした。

デザインの違う椅子、巨大なカーテン、ピアノ……舞台には少ない小道具のみ。
7組の擦れ違う恋愛、トレープレフとニーナの恋を軸に、
それぞれの恋が輪廻のようにお互いに影響を与えながら回転していきます。
その中で、当時に限らず、今の代も変わらずに試行錯誤され、
語られる芸術のありようを演劇の皮を借りて論じていきます。
今を煌めく旬の若手に加え、老練な演技術のベテランがキリリと要所を締めます。



俳優には「格」と言うものがあります。
それはマスコミが囃したて、2時間ドラマの主役をやれば大女優……的な、
大根畑に大女優がゴロゴロ……何て言う思わず苦笑してしまう悲惨な笑い話ではなく、
例えば、チェーホフで言えば、この作品のアルカージナや「桜の園」のラネーフスカヤ夫人、
テネシー・ウィリアムズの「欲望という名の電車」のブランチ、
シェークスピアのマクベスやリア王に配役された時に、
その俳優の「格」が顕になります。「格」言うより「分(ぶん)」と言った方が分かりやすいでしょうか。
演劇史上の名立たるキャラクターに相応しい「格」を持っているかどうか……。
分不相応な配役は役者にとって恥ずかしいものになってしまいます。


アルカージナを演じた佐藤オリエ……愛らしくて嫉妬深い大女優を好演。
彼女の卓越した台詞術は、囁く声まで客席の最後列までキッチリ聞こえます。
アルカージナは偉大な女優で一人息子を溺愛していますが、
年齢を顧みずに若い作家トリゴーリンとの愛に溺れています。
佐藤オリエの圧倒的な演技力、演出の熊林弘高とは同じ役で2度目のタッグです。
勿論、彼女には大女優のとしての「格」があります。
アルカージナに相応しい格。若い女優の卵に嫉妬する姿に滲み出る余裕のオーラ。

ニーナを演じた満島ひかり。
女優になることを夢見てモスクワに出てトリゴーリンとの間に子供を設けるも、
やがて子供を死なせ女優としても惨めな境遇に……。
この役も役者の「格」を問われる新進女優の登龍門。
ニーナやハムレットを演ると言うことは、その時代の若手ナンバーワンであることの証明です。
但し、その後、順風満帆に行くかどうかは別問題ですが……。
夢破れてトレープレフの元に戻った後の、未来へ向ける情熱が再燃する辺りが一筋の救いです。

トレープレフを演じる坂口健太郎……まさに旬の人。
失礼ですが、意外に達者で驚きました。同行の坂口健太郎ファンの女子は、
楽屋口に出て来て友人たちと歓談している坂口くんをガン見(爆)
僕にとってはただただあの髪型が不思議以外の何者でもないんですが……。

田中圭のトリゴーリン。
上演が1年早かったら彼がトレープレフでしょう。
それだけ新しい才能が台頭してきている証明です。
自らの才能に自信を持ちながらも、若いトレープレフの才能を知り焦りを感じます。
次から次へと舞い込む仕事に流れ作業的な文筆業に辟易。
どんなに頑張ってもトルストイやゴーゴリ、ドストエフスキーには到底及ばない、
自身の才能の限界も重々承知。ずっと年上の大女優アルカージナの、
若い燕に甘んじている自分にもほとほと自己嫌悪を感じています。
どこか投げ遣りなトリゴーリンを若い田中圭が好演。

中島朋子……脇でキラリと輝きます。
しかし、マーシャに中島朋子とは!何と言う贅沢な配役。
小林勝也……枯れて来た役者の色気みたいなもの?いい味でした。
他に、あめくみちこ、渡辺 哲、山路和弘、渡辺大和。
アンサンブルが一際際立つ「かもめ」……本年度必見の作品です。


2016年11月18日


ブノワ。


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巨星墜つ。 

 

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早朝から驚きのニュースが流れました……。
平 幹二朗さんが亡くなったのです。まさに寝耳に水、青天の霹靂、
つい先日、三軒茶屋で「クレシダ」の圧倒的な演技を見たばかりでしたから……。

これが長の闘病を知っていたのなら、どこかやっぱりの得心もしますが、
何でもお風呂場での事故だそうです……本当に残念です。
日本の演劇界は掛け替えのない不世出の大俳優を1人失いました。

僕は平さんの全ての芝居を観ている訳ではありませんが、
同じ時期に生き、その素晴らしい演技を目の当たりに出来た幸運、
平さんの演技から受けたインスピレーションは計り知れないものがあります。
本物を見たからこそ見えて来る色々なもの……。

シェークスピアを筆頭に、どの舞台においても圧巻の台詞術が目を引きます。
朗々と威厳に満ちた台詞術……その劇場空間に響き渡る声色は、
一人一人の観客を包み込む魔法の声。僕たち観客をあらゆる時代へと誘います。
時に見上げるだけで登頂不可能な雄大な山、時に底も見えぬ海のように……。
矢張り、役者は「声」だと思わせてくれる偉大な俳優でした。
どの舞台も存在感溢れる素晴らしいものでしたが、
僕が印象深く思い出すのは、三島由紀夫原作の「鹿鳴館」(2004年上演)で、
佐久間良子と愛息子の平 岳大と共演した時の影山伯爵役です。
冷徹で残忍で、研ぎすまされた刃のように尊大な影山伯爵。
愛だの恋だの人情だの、人としての温かい感情と言うものを蔑み、
忌み嫌う伯爵が、自分の妻と前の恋人の清原の間に流れる真の愛情に気が付いた時、
身悶えするような嫉妬の感情に苛まれ、自らの中に存在した嫉妬と言う、
おおよそ俗人の感情に驚愕し、自らの中に流れる温かい血に愕然とし、
人としての感情に流されまいとして奸智に長けた策略をろうする辺りの、
苦悶する姿を威厳ある台詞と大きな芝居で表現していました。



巨星墜つ……。

まだまだこれからも素晴らしい舞台を見たかったのに……。
平さんから受け取った美しきものへの審美眼、
身をもって見せてださった舞台の本物のあり方は、
決して忘れることなく一生の財産になることでしょう。
二度と現れることのない大俳優に心からの感謝と尊敬の念を込めて、
心よりご冥福を祈りたいと思います。


2016年10月24日


ブノワ。


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嘘の代償……「レティスとラベッジ」&「雪まろげ」。 

 

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 「真実なんて大嫌い!私は魔法が好き。
  魔法……私は真実を語ったりはしない。そうでなければならないことを語るの。
  それが罪だと言うのなら、私は地獄に墜ちてもかまわない……。」

そう言ったのはテネシー・ウィリアムズ畢竟の傑作、
「欲望という名の電車」の中のブランチ・デュボアです。
彼女はボロボロになりながら生きるために嘘を吐く……。
人は善悪の差はあれど、多かれ少なかれ嘘を吐きます。
悪意のある嘘、人を思んばかっての嘘、優しい嘘、
ブランチのように「こうあらねばならない……。」と、
生きるために必死になって自己催眠を掛ける嘘……。

今日は嘘にまつわる芝居2本立てです。


先ずは黒柳徹子と麻実れい共演の「レティスとラベッジ」です。
何と!ソワレが1回しかない異常なタイムテーブルの初日に観劇。
働いている人はいつ観ればいいの?(苦笑)初めて訪れる「EXシアター六本木」です。

主人公のレティス(黒柳徹子)はイギリスの歴史的な建物のガイドをして生計を立てています。
担当している建物に歴史的な逸話や魅力がないため、どんなに工夫を凝らしても、
ツアー客は退屈し大あくび、赤ん坊は泣きだし、途中退席でトイレに駆け込む人が後を絶ちません。
業を煮やしたレティスは、次第に自分勝手に面白可笑しく歴史を脚色し、
ツアー客の拍手喝采を浴びるようになります。サインや記念写真を求められる人気ぶり。
その傍若無人ぶりは、やがて歴史保存委員会のロッテ(麻実れい)の耳に入ることとなります……。
即刻、ロッテにより解雇されたレティス、やがて時が経ち、
レティスに自らとの共通点を見いだしたロッテはレティスに就職の紹介状を書き、
やがて2人の間に友情が芽生えて行く……。

ピーター・シェーファーの傑作戯曲との触れ込みですが、
レティスのエスカレートする嘘を冒頭の数場で立て続けに見せる手法が退屈です。
例えば、有吉佐和子の「ふるあめりかに袖はぬらさじ」の、
お喋りで酒飲みで男にからっきし弱い三味線芸者のお園のように、
淋しくて恋に破れて自害した旧知の花魁の話が、
ひょんなことから次第次第に尊王攘夷の見上げた女傑に祭り上げられるまでの、
仕方なく吐いた嘘がやがて雪だるま式に大きくなり、最終幕の名台詞に至るまでを、
物語の中に巧く織り込んでいるウェルメイドな作劇とは一線を画します。
あれだけ頑なだったロッテがレティスに好意を寄せる過程が突飛。
一転して2幕では被害者と加害者に別れて争うことになる過程、
その驚きの秘密が何やら付け焼き刃的な匂いがします。

ほぼ2人芝居、麻実れいは「インディ・ジョーンズ・クリスタルスカルの王国」で、
ケイト・ブランシェットが嬉々として演じたソ連の女スパイ、
イリーナ・スパルコみたいなボブの鬘を被って好演。
彼女の切り口上な台詞回しがギスギスしたロッテの性格を巧みに表現します。

黒柳徹子は役を演じると言うよりは等身大の黒柳徹子そのままです。
ファンの方はそれでいいのでしょう。テレビの中の黒柳徹子を生で観られるのですから。
彼女の一挙手一投足に笑いと「可愛い!」の声が上がります。
膨大な台詞に加えて初日です。まだこなれていないのか、台詞がもどかしい場面も……。
台詞が出て来ない時についつい口を突いて出た驚きの言葉……。

 「何だっけ?」

これはある意味衝撃的でした(苦笑)
もしかしてこれも台詞の一部か?(笑)それもこれも含めて、
黒柳徹子ファンは彼女の全部引っ括めた姿を観に来るのでしょう。それもまた一興。

ただ一つだけ……。
どなたも書かないようですが、彼女の滑舌の悪さには辟易とします……。
往年のマシンガンのような早口のトークを知っているから尚更なんですが、
もはや、お金を取って芝居をしてはいけないレベルだと思うのです。
周りに進言する人はいないのでしょうか?テレビの創世紀から、
トップランナーだった彼女の晩年を汚すことにならないでしょうか。
最晩年の森 光子が正月の歴史劇で、
亡霊のようなナレーションで人々に衝撃を与えたのも記憶に新しいです。
一見、優しく見える嘘、オブラートに包んで彼女を讃えるより、
ハッキリ伝えることもまた愛情だと思うのですが……。

因みに、黒柳徹子も麻実れいも、それぞれ名前を冠した薔薇を持っています。
「トットちゃん」に「Rei」(今日の写真)……何れも素晴らしい薔薇です。

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鳴り止まない拍手、場内は総立ちでした……。
決められたカーテンコールはあまりの拍手にさらに1回追加になり、
(場内はすでに明るくなっていた……。)沢山の人が舞台に駆け寄る有様……。

 「頑張って!」

 「応援してるよ!」

観客席のあちらこちらから声が掛かります。

16年前の「レティスとラベッジ」でロッテを演じた、
高畑淳子主演の「雪まろげ」を「シアター1010」で初日に鑑賞しました。
僕……「シアター・クリエ」は嫌いなのです。だから北千住ね(笑)
森 光子から高畑淳子にバトンタッチされた「雪まろげ」。
青森県の浅虫温泉を舞台に繰り広げられる温泉芸者たちの悲喜交々の人情話し。
新劇とも違うし、所謂、東宝や松竹などが制作するウェルメイドの喜劇とでも言いましょうか……。
因みに、僕は森 光子が苦手でしたから、オリジナル版は観ていません。
「雪まろげ」は僕の理想とする演劇とは可成りかけ離れていました。
「お江戸でござる」的な、チョッとコントのような仕立て方。
温泉芸者を演じる高畑淳子をはじめ、榊原郁恵、柴田理恵の確実で手堅い演技。
笑いを強引に取る演技手腕は大したものでしたし、
青木さやかや山崎静代の持味そのままのキャラクターで見せる人も……。
人のいい温泉芸者が善意で吐いた嘘が、ひょんなことから雪だるま式に大きくなり、
仕舞いには国をあげての大騒動に……。

高畑淳子が、夢見る夢子と揶揄される嘘つき芸者、夢子をパワフルに好演。
彼女の吐く嘘は相手を思んばかっての善意の嘘、周りは呆れるものの、
いつしかそんな夢子の温かい人柄についついほだされてしまいます。
登場人物は全員、根のいい善人ばかりなのです。
♪チュウチュウチュチュ……榊原郁恵の銀子は、一見、金の亡者なのだけど、
そこには、人手に渡った実家の造り酒屋を取り戻すと言う夢が。
自分に嘘を吐き、嫌いな客にも金のためないい顔をするドライな一面もあります。
柴田理恵の千賀子は気っ風のいい姐御肌の芸者置き屋の女将。
我が腹を痛めた娘を「妹」と偽り居酒屋をさせています。
旅館の女将もがらがら声を偽って裏声で館内アナウンスを……。
要は、嘘の大小はあれど、皆、嘘をついて生きているのです。


少し前に高畑淳子の「欲望という名の電車」を観ました。
杉村春子の圧倒的なブランチをはじめ、それまでの、一人の女が身を持ち崩していく、
所謂、滅びの美学みたいなものとはまったく違う何か、
ブランチはかくあるべし……僕たちの既成概念を打ち壊した高畑版ブランチでもありました。
彼女はブランチを演る前に、東恵美子版「欲望という名の電車」で、
妹役のステラを演じているんですよね……確かその前は看護婦役も?
洋の東西を問わず、キャリアを積んで行くと共に、
同じ戯曲の小さな役から大きな役へ移行する例は珍しいです。
舞台人としての確実なキャリア、テレビなどに置けるキャラクターの圧倒的な演じ分け、
皆さんは「ナオミとカナコ」の中国人社長、李 明美をご覧になりましたか?
圧巻の中国人像を造形した確かな演技力……。

冒頭にも書きましたが、鳴り止まない拍手、舞台に駆け寄る人々……。
そして何より「頑張って!」の声援。これからも女優道を極めて欲しいです。


2016年10月4日


ブノワ。


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秋の演劇シーズンの開幕です……。 

 

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いきなり涼しくなりホッとしていたのも束の間、
このところ、また気温が上がってチョッと体調が変ですが、
今年も秋の演劇シーズンがやって参りました。9月は年度末で忙しいのですが、取り敢えず、
神奈川芸術劇場にて「マハゴニー市の興亡」、シアタートラムにて「クレシダ」、
北千住のシアター1010にて「雪まろげ」を立て続けに鑑賞です。



今日は「マハゴニー市の興亡」と「クレシダ」についてチョッと……。

「マハゴニー市の興亡」はズゥ~っと応援している岸田研二くんが出ています。
ブレヒト+クルト・ワイル……音楽劇と言うことですが、
矢張り大きな違和感となって僕を劇中に入れなくするマイクロフォンの存在。
今の演劇では当たり前のようにマイクロフォンを使いますが、
その時点で役者の肉声が失われ大きな違和感を感じます。
僕に限らず、役者は顔と声……そう思っている方も多いのではないでしょうか?
だから僕は映画も吹き替え版は絶対に観ません。日本の吹き替え、ヘタクソだし。
今や、俳優に限らず、テレビに出ている多くのタレントが舞台に出ています。
がならず怒鳴らず、一体どれだけの俳優が観客席の一番後ろまで台詞を響かせることが出来るでしょう。

前に、僕を可愛がってくれているある女優さんに聞いたことがあります。
帝国劇場である大女優と共演した時、自分はマイクロフォンなしで演じていたのだけど、
その老女優はボソボソ話す発声が特徴で、声が小さく、一人だけマイクロフォンを使っていたそう。
(これだけで誰のことだか分かってしまいますね……。)
同じシーン、舞台の上手と下手で離れて芝居をしている時はいいのだけど、
スグ近くで演技をする時は、自分の声を老女優のマイクロフォンが拾っちゃって、
大層、難儀したそうです。異様ですよね、地声で十分なのにスピーカーからも聞こえて来る(苦笑)
今はある程度のキャパシティの劇場は漏れなくマイクロフォンを使います。
集客を第一に考えるあまり、所謂、舞台の修練を積んでいないタレントを配役します。
そりゃぁいいでしょう、各タレントにファンがついていますから、
劇場は常に満員御礼……ただし、その内容は学芸会程度のことが多いです。
ミュージカルを銘打っていても、カラオケ並の歌唱しかできないタレントたち。
演技はお粗末だし、こんなことで日本の演劇の未来はどうなるのでしょう?

今、ブレヒトを上演する意義みたいなものは僕にはよく分かりません。
ラストシーンのシュプレヒコールはいかにも舞台らしいカタルシスを感じました。
岸田研二くんは非常に姿がいいです。端正で立ち姿もキリリトしています。
このところ、大きな舞台に出るようになりました。
そうそう「シン・ゴジラ」にも!さらなる活躍を期待したいです。
最後に、中尾ミエがこのところいい感じです……。
まだまだお若いですが、もっと早くから舞台に出ていたら……。
そう思います。ハァ、勿体ない。


三軒茶屋のシアター・トラムにて「クレシダ」を鑑賞。
これは平幹二朗の独壇場でした。もうその圧倒的な演技術に釘付け!
第二幕の冒頭で、平幹二朗演じるシャンクが、
クレシダを演ずることになったスティーブン(浅利陽介)に演技を付けるシーン。
もう圧巻でした。朗々たる台詞回し、スティーブンの代わりにクレシダの台詞を言ってみせるシーン……。
一人だけ遥か彼方に旅立っているかのような次元です。
劇場の空気が一気にエリザベス朝のイギリスにタイムスリップします。
「マハゴニー市の興亡」で批判的なことを書きましたが、
平幹二朗の台詞を聞いていると、改めてその感を強くします。
決して大きな声を出さずとも、どんなに小さな囁きまでも客席の後ろまでキッチリと聞こえる台詞術。
イチローのレーザービームのように、ピンポイントで観客に届く発声。
現に、今回の芝居において平幹二朗の台詞で聞き取れないところは一つもありませんでした。
明朗で粒立つ台詞……まるで魔術にかかったように演技に引き込まれてしまいます。
1人の偉大な役者の演技術が、僕ら、観客を異次元に誘うことも可能なのです。

 「観客は劇場に普段見られないものを観に行き、衝撃を受けに来るのだ……。」

シャンクがスティーブンに言います。
正しくそう!僕ら観客は日常を忘れ、まだ見ぬ一時を過ごすために劇場の暗闇に座るのです。
平幹二朗……この偉大な役者と同じ時代に生きることの幸せ……ひしひしと感じます。


この後は、1日に麻実れいと黒柳徹子の「レティスとラベッジ」(これはもう一回観に行きます)
それからお友達の高橋紀恵ちゃんが出る「キルデンダイクの四兄弟」、
11月にはそうそうたるメンバーの「かもめ」が控えています。
熊林弘高(演出)木内宏昌(上演台本)……現在、日本で最も信頼の置けるコンビに加え、
佐藤オリエ、田中 圭、坂口健太郎、中嶋朋子、満島ひかり……楽しみです。
その他にも日程の調整をしている作品が4本……アッと言う間に年末です。


今日の写真は数年前に撮った岸田研二くんの超美麗ポートレート。
確か、大晦日だったかな?大事な行事のリハーサルの時……懐かしいです。


2016年9月29日


ブノワ。


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花螢の呪縛。 

 

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台風9号が首都東京に上陸したまさにその夜……。
こまつ座の旗揚げ公演で、井上ひさしの傑作戯曲「頭痛肩こり樋口一葉」を観てきました。
メンバーは親友のT、傾国の美女M、あけにルーシーグレイのお2人。
それから、偶然同じ日だった大好きなKさんと、そのお嬢さんのNさん。
この戯曲は物語の内容から上演される時期は必ずお盆前後と決まっています。
初演こそ見逃していますが、あとの公演はすべて複数回、観ています。
(初演はビデオにて鑑賞、松竹版は未見……。)
延べ30回以上は下らないかな?今回は前回公演とほぼ同じ顔触れで、
樋口夏子(一葉)だけが小泉今日子から永作博美にバトンタッチです。

舞台は1場だけ10月の龍泉寺町であることを除き、
他の場は、明治23年から明治31年のお盆の7月16日を舞台にしています。
女優だけしか登場しないこと、幽霊の花螢は主人公の夏子にしか見えないこと、
毎年のお盆の17日が舞台であること……このように幾つかの決まり事が上手く機能すると、
非常に素晴らしい舞台になる可能性が高いです。


登場人物は……。

  樋口多喜(一葉の母)……三田和代
  樋口夏子(後の樋口一葉)……永作博美
  樋口邦子(一葉の妹)……深谷美歩
  稲葉 纊(二千五百石どりの旗本、稲葉家の末裔)……愛華みれ
  中野八重(樋口家の昔なじみ、後に身をやつしてお女郎になる)……熊谷真美
  花螢(吉原のお女郎の幽霊……記憶をなくし誰を恨むか迷っている)……若村麻由美


さて、お盆の度に登場人物たちの境遇がめまぐるしく変わって行きます。
幾つかの決まり事を観客も一緒に楽しむようになり、
いつしか自分を登場人物の誰かに重ねるようになります。
特に女性はたった6人の女優が演じるキャラクターに自分を重ねる部分が多いのでしょう。
それは、舞台になった明治も、今、平成の世も、
相も変わらず連綿と続く女性が社会で生きることの難しさ、
自らを取り巻く義理人情の網、女だからと頭ごなしにダメだしされ、
個性的であれと言われつつ、その実、出る釘は打たれる現状。
男女平等が謳われて久しいけれど、女性であることの大変さ、
母として、また、娘としてのそれぞれの思いが重なる故でしょう。
登場人物6人の力強い生き様、世間にがんじがらめになり、人生に疲れ、
事業に失敗し、夫に裏切られ、恋に破れ、借金に苦しみ、お女郎に身をやつし、
創作にもがき苦しむ……それでも大地に足をしっかりつけ、決して後悔しないように、
その時々を生きる逞しさ……そこに共感し涙するのでしょう。

 「私達の心は穴の開いた入れ物、私達の心は穴だらけの入れ物……。」

花螢と言う幽霊を触媒に、あの世とこの世を行き来する一葉。
笑いの陰に悲しみが、憤りの陰には笑いが潜む絶妙の作劇。
井上ひさし、渾身の大傑作です。

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閑話休題……。

「頭痛肩こり樋口一葉」で、僕が目撃した面白いエピソードがあります。
僕が一番最初に観たのは、再演の時、花螢役の新橋耐子さんに招待されて、
初日前日のゲネプロを見せて戴いたんです。周りは関係者ばかり、評論家や俳優ばかりでした。
部外者の僕は身を小さくして暗闇に座っていたのですが……。

いやいや、兎に角、面白い……抱腹絶倒とはこのことを言うのでしょう。
一般に、映画館や劇場で声を出して笑うのは憚られますよね。
でも、本当に声が出てしまうくらいに、突飛に笑いのツボを刺激されるシーンの連続でした。
舞台に向かって中央、前から10列目くらいに、横一列にテーブルが並べられ、
そこに台本を手にしたスタッフが何人か座っていました。手元には小さなテーブル・ライト。
それぞれに自分の持ち分のチェックしています。台詞をチェックする人、
台詞と音楽などの間をチェックする人……でも、それらの人達も、
初めは声を潜めて笑っていたのですが、次第に我慢することを止め、声を出して笑っています。
中に一際大きな声で、しかも、椅子から転げ落ちそうになって笑っている人が一人……。
小さなテーブル・ライトに照らされたその顔は、何と原作者の井上ひさしご本人ではありませんか。

新橋耐子演じる幸薄い吉原のお女郎の幽霊、花螢。
記憶喪失になり、取り憑く相手が皆目分からないお人好しの幽霊、
花螢の一挙手一投足に声を出して笑っています。自分が書いた本なのに……。
後に、そのことを新橋さんにお話ししたところ、
凄く嬉しそうな顔をしていましたっけ……。
役者にとって、生涯に掛け替えのない当たり役が一つでもあることの幸せ、
原作者を笑い転げさせる事が出来た快感はどんなものだったのでしょう。

井上ひさしが新橋耐子に当て書きした花螢は、
日本の演劇史上、稀に見る強烈なキャラクターです。
夏子のもとにひょんなことから現われるようになった花螢。
どうやら生前は吉原のお女郎をしていたらしいのですが、
恨む相手をボンヤリ忘れ、次から次へと恨みの大元を探して、
弱い足を引きずって恨むべき相手の枕元に化けてでる花螢。
このチョッとトボケたお女郎の幽霊が、女であることの苦しさや差別、
必死にあがいている女たちの間に入り(夏子以外に花螢は見えない……。)
絶妙なお笑いを提示します。そして、そこはかとない哀れ、悲しみが行間から滲み出て……。

………………………………………………………………………………………………………………………………………………………………………

さて、今回の公演のことなどをチョッと……。
つくずく思うのは、今までに評価の出来上がった作品を一から作り直すことの大変さです。
演出が前回から今までの木村光一から栗山民也に変わりました。
台詞は殆ど変わりませんが、木村光一が作り出した演出を一切使えません。
シェークスピアやチェーホフを形や演出を変えて上演するのとは訳が違います。
数限りない制約の中で俳優だけが変わって上演する難しさ。
どこか、いつか見たような既視感を覚えるのは無理もないことです。

一番、顕著なのは花螢の造形です。
初演から一貫して新橋耐子が豊かに肉付けし、膨らませて来た役。
これは同じ演出で他の女優が全く異なった形で演じるのは不可能です。
漏れ伝わるところに寄ると、ベテラン女優のE.Iや、
なぜか芸能界のご意見番と呼ばれるP.I……多くの女優がこの役を望んだそうです。
おそらく彼女たちに役が廻ったとしたら、それなりの個性で面白くなったと思いますが、
今回、栗山民也によって新しい演出になったとは言え、一度でも新橋版の花螢を見てしまったら、
その呪縛からは絶対に逃れられないと思うのです。それ程、強烈で素晴らしい役作り。
日本の演劇史上に燦然と残る女優の演技ではないでしょうか。
本来、タイトルロールの樋口一葉にはその時々のスター女優が配役されます。
そして、全体を締める意味で母親のお多喜にベテランで達者な女優を配します。
妹、邦子には若手の実力者を、稲葉 纊には宝塚のOBなどから配役することが多いです。
ところが、いつしか上演を重ねるごとに、芝居の扇の要は新橋耐子の花螢になってしまいました。
周りにどんな大根が来ようと、棒読み女優が来ようとお構いなし。
その公演、公演で、時に儚気に、時に猛々しく、時にコミカルに……。
美しい着物の裾捌き(足が見えない!)哀しさの中に滲み出るお色気。
滲むと言えば、戯曲のト書きにこうあります。

 「このとき、上手の部屋の壁の向うから、滲むように花螢が表われる。」

 「このとき、下手からふわぁーっと出て来た女がある。」

この無理難題な登場シーンに現実味を与え、
自在に役作りを変え、周りの女優との調和を計りつつ、
自らの花螢を創造して行った役者根性は見事という他ありません。
扉が「ぎぎぃぃぃぃ〜!」と開いただけで客席から笑いが起きる凄さと観客の期待感。
「♪だらららぁ〜ん」……花螢が登場する音楽が鳴っただけで、
場内から「出たぁ〜っ!」と声が上がる人気振り。

新橋耐子のあと、大橋芳枝(新橋耐子の交通事故による代役出演)、
それから前回に引き続き、若村麻由美が演じていますが、
まるで新橋耐子の亡霊が取り憑いたかのように演技がソックリなんです。
演出家は今までの木村光一から栗山民也に変わりましたが。
演出家が変われど大元の戯曲は一緒なので、また、新橋耐子の花螢を見てしまったら、
その強烈な演技に影響を受けるのは必至です。



三田和代……鈴が鳴るような涼やかな声とドスの効いた声を使い分け多喜を好演。
勿論、大女優の域に達していますが、老け込まずにもう少し若々しい役が見たいかなぁ……。
チェーホフとか「欲望という名の電車」のブランチとか……。

もう一人の陰の主人公、邦子を演じた深谷美歩、なかなかの好演でした。
この役は最初から最後まで全ての登場人物と関わる芝居の要です。
自分の台詞がない時も受けの芝居をキッチリとしておかなければ芝居が成り立たない難しさ。

熊谷真美は中野八重と双葉屋のお角を見事に演じ分けていました。
特にお角になってからの蓮っ葉で世を捨てた感が半端なかったです。

若村麻由美の花螢……前回よりも可成りこなれていて好演。
但し、どうしても新橋版花螢と較べてしまうのは仕方ないです。
そして、点数が辛くなってしまうのも仕方がない。
それは舞台女優としての格の問題もあるし、
僕らが未だに新橋版の花螢を熱望しているからになりません。
新しい演出と今回の若村版と以前の新橋版と較べるのは失礼なのだけれど、
文化は比較しなければならないし、比較されてしまう運命にあります。
昔を知っている観客は少々、点数が辛くなるのではないでしょうか?
それから花螢を演じて以降の、他のテレビなどの若村麻由美のコメディーの演技にも疑問を持ちます。
こちらも自分んが演じた花螢の呪縛から逃れられないでいるのです……。
非常に華がある美人だけに勿体ない気がします。

永作博美の夏子は思った通りの好演でした。
特に夏子が幽霊になってからの台詞の一々が、ハッキリと客席に伝わる見事さ。
これほどメッセージをストレートに客席に伝える役作りは素晴らしいです。

 「邦子、しっかりおやり!世間体なんか気にしちゃダメだよ。」

邦子の背中に投げかける多喜の言葉が身に染みます。


今日の写真は、今回の劇場「シアタークリエ」の前身、
今はなき「芸術座」での公演の時、新橋耐子さんに頼まれて、
昼夜好演の楽屋と舞台袖に控えて撮らせて貰った写真のうちの1枚です。
当時は勿論、フィルムカメラ、モノクロームを中心に撮った楽しい記憶があります……。
最後に一つだけ……シアタークリエ級の中劇場において、
マイクロフォンを使わないと台詞が後ろまで通らないのが今の役者の現状なのでしょうか。
マイクロフォンを通した声は、矢張り肉声と違い、
どこか観客と役者の間に大きな壁を作ってしまうように思うのですが……。

この記事は過去の記事に大幅に加筆修正してアップしています。


2016年8月26日


ブノワ。


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