なぜもこう貧弱なのか? 

 

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いよいよ春らしくなって来ました。皆さん、庭の準備は万端ですか?
芽吹いた新芽、土の中から顔を出す球根類の新芽は本当に愛らしいですもんね。

僕は3月は年度末でバタバタ、昨日、何をしていたか全く覚えていない記憶喪失状態、
疲労困憊で死亡寸前でございます(笑)時間的な余裕がないのにも関わらず、
3月は誕生があるのでお祝いの席が目白押し、お祝いメールも目白押し。
来月は友人が出演する芝居が目白押しで、さらに疲れに拍車をかけています。
演劇って春と秋がシーズンらしいですね(苦笑)
まぁ、いい舞台に出て顔が輝いている友人の顔を見るのは嬉しいものですけどね。


さて、今日はこのブログで最も人気がないカテゴリー、
映画&演劇、劇場にまつわるあれこれについてチョッと……。


と言っても、映画、演劇評ではなくて、今日のお題は劇場の施設について。
皆さんはお気に入りの劇場とか映画館ってありますか?
諸々の雰囲気、立地条件、スタッフの感じの良さ等……。
映画館なんかだと、立地に寄っては客層が全然違いますからね。
僕は出来れば六本木とか新宿には行きたくない(笑)
両方ともポップコーン率が高くなって上映中の雑音に繋がるの。

さて、いつも思うんですけど、劇場って女性のトイレが圧倒的に少ないですよね。
男性と違って女性の方が用を足す時間が掛かるって言うこともあるけれど、
赤坂ACTシアターなんか幕間にロビーに長蛇の列。
幕が降りるか降りないかのうちに脱兎の如くトイレに走る女性たち……。
ロビー、凄く狭いのに、ダァ〜ッと長蛇の列(苦笑)しかも最後尾に、
「トイレ待ちの最後尾はここです。」みたいな看板を持った係の青年が……。
僕が女だったらトイレに並んでいるところを人に見られたくないなぁ……特に恋人にはね。
デリカシーないし情緒もない。100年の恋も醒めちゃうじゃない?
好きな人にはそう言う下々のことは全くないと思われたいじゃないですか(笑)

その昔、武道館にフリオ・イグレシアスが来た時に友人が目撃した光景……。
男子トイレにオバちゃんたちが大挙して押し掛けてきたそう(笑)
待てなかったんでしょうね(笑)我慢できなかったんでしょうね……。
友人曰く、まさになだれ込んで来るように我先にオバちゃんたちが入って来たそう(笑)
とうとう我慢出来ず、皆で入ればコワくない的な心理も働いたのでしょう(爆)
友人たちは便器の前でズボンのファスナーを開けて……な訳です。
可成りコワかったそうですよ。その年代になると恥とかの感覚もなくなっちゃうのでしょうか。

不満を言いだしたらキリがないけど、最後に一つだけ……。
劇場の椅子ってどうしてあんなに狭くて座りにくいんでしょう?
日本人の体格って近年、格段に良くなってきているのに……。
大柄な2人が並んじゃうと窮屈そのもの。肩身の狭い思いをしなければいけません。
ダークダックスをやらないと行けない訳……チョッと古いか(笑)
小劇場系の芝居で折り畳みのパイプ椅子に座らされることもあるけれど、
こちらは入場料と芝居の規模を考えれば文句は言えないのですが、
日本を代表する大劇場の椅子!先ず、芝居を見る環境ではないですよね。
内装が豪華絢爛たる「日生劇場」も椅子が貧弱……。

思わず頷いちゃう人もいると思うけど、
とっくに閉館になった「シネマスクエア東急」の1脚4万円以上する、
背もたれから出た頭を支える余計な部分の角度が非常に不愉快だったフランス製の椅子。
後頭部を後ろから押さえつけられているみたいで何とも居心地悪かったです。
映画館って座席の後方と前方ではスクリーンを見上げる角度が違いますからね。
こちらも閉館になった「セゾン劇場」の座面が途中から折れるタイプの最悪の椅子!等々、
これは参った……ちょうどふくらはぎのところに異物がある感じ。
椅子に座るポジションって人それぞれですからね。
劇場の椅子に関する不満は枚挙にいとまがありません。

僕、世田谷パブリックシアターが好きなんですが、ここも重厚な内装に反して椅子が小さくて貧弱。
特に2階席3階席は最悪です。椅子が小さくて前の列との感覚がエコノミークラス級(苦笑)
映画館、特にシネマコンプレックスの椅子の方が座り心地良くて快適なのはなぜ?(笑)
恵比寿ガーデンシネマの椅子なんてとても座りやすくて全く疲れません。

人間工学だか何だか知らないけれど、
勝手に作り上げた机上の空論、ヘンチクリンなデザインが多いです。
今日の写真はパリ郊外で撮りました。RER(近郊線)B線の終点、
サン・レミ・ル・シェルヴーズ、北駅から丁度一時間くらいかな?
そこからバスで30分ほどの「ポール・ロワイヤル修道院跡」。
殆ど訪れる人もいないここは、静謐な時間が流れています。


2015年3月27日


ブノワ。


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台詞はリズム……「華岡青洲の妻」。 

 

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 「それを加恵(かえ)さんはぁ……知ってなしたんかのしぃ。」

舞台「華岡青洲の妻」の第三幕の幕切れ、青洲の母、於継(おつぎ)の台詞です。
姑の於継と嫁の加恵(かえ)はまるで青洲の愛情を独り占めするための手段のように、
競い合って実験段階の危険な麻酔薬を飲みます。
いくら今だに若々しくて美しい母とは言え、年寄りには強い薬を飲ますまいと、
青洲は母の於継には眠り薬のように弱い薬を、妻の加恵には本当の実験用の強い薬を飲ませます。
最初に飲んだ薬によって目を傷めた加恵は、次に飲んだ薬で完全に盲目になってしまいます。
薬を飲んだ後の寝起きがいい方があたかも女として、また、人間として優れている、
それが嫁の加恵に勝った証かのように、青洲の愛情を独り占め出来るかのように錯覚していた於継。
てっきり加恵と同じく強い薬を飲んでいたものと思い込んでいます。
勿論、自分の時は目覚めも良く、「目が痛い。」と青洲に訴える加恵を、
折角の実験なのに何といたらない嫁、矢張り自分の方が優れていると……。

 「同じ薬を飲んだのに、なんで加恵さんだけが……。」

と、言う問いに青洲は絞りだすような声で……。
 
 「加恵の方が強い薬をのんでましたんやぁ!」

息子の口から出た衝撃の言葉、事実に於継は絶句し、件の台詞になる訳です。
息子の実験のためと言いながら、実は、この時点でもまだ嫁に勝つことばかりを考えている於継。
於継の思わず口をついて出た質問に勝利の微笑みを薄らと口元に浮かべ頷く加恵。
絶句し、身体を震わせ号泣しその場に崩れ落ちる於継……。
於継がまるで枯木が倒れるように亡くなったのはそれからスグのことでした。

この名場面が第三幕の終わりになり、第四幕目は於継の出演シーンはありません。
この原作にはない台詞、これを抑揚たっぷりに、大見得を切って歌い上げることによって、
第四幕に於継は出ない訳だけれど、その存在感を最後まで引っ張る大事な台詞です。
於継を当り役とした杉村春子は、一幕から三幕まで、流暢な紀州弁を駆使し、
リズム感タップリの抑揚を付け、流れるような台詞回しで観客を魅了します。
その台詞術の心地よさはまるでオペラのアリアのよう。

舞台は華岡家の玄関先から通じる広間だけの一杯道具。
舞台上で杉村春子が長女の於勝に手伝わせながら着物を着替えるシーン、
紀州弁で台詞を言いながらアッと言う間に着替えてしまう、
そのあまりの早さと見事さに場内からは大拍手が起きる場面もありました。

今では殆ど話す人もいないであろう江戸時代の紀州弁、
おそらく基本は関西弁で、語尾に接尾語の「のし」「よし」「とし」などが付きます。
この紀州弁に俳優陣は非常に苦労し、
自分の言葉にするのに並大抵な努力を強いられたとか……。
杉村さんも僕にこう仰言られていましたっけ。

 「そりゃぁ、アナタ。本当に大変でしたよ。
  だって、そんな昔の紀州弁なんて聞いたことないですからねぇ。」

話しを於継の最後の台詞に戻すと、
「加恵さんはそれを知っていたのかのし。」ではなく、
「それを加恵さんはぁ……知っていたのかのしぃ。」とするところに、
舞台を知り尽くした作者の有吉佐和子のテクニックとケレン味があります。


麻酔薬の開発に躍起になる青洲、
犬や猫の動物実験では成功を収めるものの、残るは人間による実験のみ。
そこに青洲の愛情を独り占めしようと必死の嫁と姑が名乗りを上げます。

於継 「麻酔薬の人体実験は 私(うち)を使ってやりなさい。」
加恵 「とんでもないことでございますよし。
    その実験には私を使って頂こうと かねてから心に決めていましたのよし。
    あなた、私で試して頂かして。」

加恵 「姑にそんなことをさせたら嫁の道が立ちません。私を使って頂きますよし。」
於継 「嫁の道が立つときは、姑の道が立たんのですよし。
    云い出したのは私なんやよってに、私が使ってもらいますよし。」

於継 「姑に逆らいなさるのかのし。」
加恵 「はい。事と次第によっては、女の道に外れるとは思いませんのよし。」

それまでは決して正面切って言葉でぶつかることがなかった於継と加恵、
真綿に包んだ針や薄布に隠された研ぎすまされた刃のような迂遠な言葉の応酬はあったけれど、
ここに来て初めて心の底の憎しみを畳み掛けるように直接相手にぶつけます。
それも夫を、息子を思いやるそれぞれの愛情と言うオブラートに包んで、
青洲を思わんばかりのために、麻酔薬のためにと言う大義名分の上に立って酔うように……。
加恵は姑を「老い先短い」「お齢を取り忘れたお方」、
お継は加恵を「女の子一人しか生んでいない役立たず」、
「夫の欲していることも分からない阿呆」と誹る……。

小さい頃、美しくて賢いと噂の於継を一目見たくて乳母に懇願し、
わざわざ隣村まで足を延ばし、こっそりと垣根越しに、
白い曼陀羅華(まんだらげ・朝鮮朝顔)が咲く薬草園で初めて見てから、
あまりの美しさに憧れ続け、青洲が京都に蘭学の勉強で留守中に、
於継によって見初められ、姑と嫁が相思相愛で夫の不在中に一人嫁入りして来た加恵……。
その仲の良さ、睦まじさは、於継自身が、

 「我が腹を痛めたのでもないのにお母(か)はんと呼ばれ、
  私(うち)も実の娘以上に愛しと思うのですよってに この因縁は、
  まあ はかり知れやんほど深いものなんですやようのし。」と、言わしめ、

実の娘のお勝と小陸をして、
  
 「なんや、私(うち)ら急に継子(ままこ)になったみたい。」と嘆かせるほどでした。

まだ見ぬ夫が、最愛の息子が不在中はこの上なく上手く行っていた嫁と姑の関係が、
息子、青洲が京都から帰って来ると一変します……その手の平返しの演技の素晴らしさ、
理屈ではなく息子を思う気持ちから自分が見初めて懇願して迎えた嫁を本能で憎んでしまう於継………。
劇場内の女性はそれぞれ嫁と姑の立場に自分を置き換え、
自分の気持ちに照らし合わせ大きく頷き、共感し、愕然とし、
男性は我が身を振り返って、果たして自分の家はどうなのだろうかと戦々恐々とします。

於継ぎ亡き後、首筋に出来た血瘤に苦しむ小陸に、

 「目が潰れるほど強い薬、恐い薬と知りつつ
  お母はんと薬を飲み比べしたのは何でですのん?」

と、詰め寄られ、薬のために完全に盲目になった加恵は、

 「お母さんは賢い立派な方やったと、心底から思ってますのよし。
  私はお母さんに育てられたんやしてよし。泥沼だったなどと滅相もない。
  私ほど姑運のいい嫁はこの世にいないと思うていますのよし。」

と、答えます。それを聞いた小陸は一言、
 
 「それは嫂(あね)さんが勝ったよってやわ。」と言います。

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華岡青洲…………。

1804年に世界で初めて麻酔薬による外科手術を成功させた紀州の外科医。
今ではクイズにも出題され知名度はなかなかのものですが、
その麻酔薬を完成させるまでの秘話はあまり知られていません。

青洲の母、於継と妻の加恵…………。

二人が自分の身体を競って人体実験に提供したという美談は有名でも、
その陰で陰々欝々と繰り広げられていた嫁と姑、女と女の戦いはあまり知られていません。
才女、有吉佐和子がそこに材を取り書き上げた「華岡青洲の妻」。
これほど迄に人気を博し、長年に渡って愛読され、テレビ化、映画化され、
舞台化されるも、再演につぐ再演を繰り返す最大の理由は、
いつの世も変わらない嫁と姑の問題、どの家も抱える嫁姑の問題もあるのでしょうけど、
ひとつは有吉佐和子の心の襞、感情の起伏の一つ一つを抉り出し、
分析するように書き上げた小説を題材に、自らの作品を遠慮なく切り刻み、
無駄を一切削ぎ落とし、戯曲として再構築した手腕と度胸、
舞台を知り尽くした上での作劇法があまりにも見事だったから他ありません。

杉村春子の於継があまりにも見事だったことから、ついぞ忘れられがちなのは、
タイトルにあるように、実は青洲の妻、加恵が主役のこの舞台、
大人しいけれどしっかりものの小姑、小陸の最終幕の台詞、

 「嫂(あね)さん、私(うち)は細大もらさずみんな見ていましたのよし。」にもあるように、

姑、於継と妻、加恵の氷の刄のような凄絶な確執を、常に脇から小陸に冷静に見させることによって
二人ののきさしならない関係が浮き彫りになります。芝居において脇役が非常に大事な好例です。
我先を競って麻酔薬の実験台になろうとする於継と加恵、
二人の関係を知っているハズなのに黙りを決め込み、まんまと人間の実験台を得る青洲の男のズルさ。
今も昔も変わらぬ家族関係の難しさ、嫁と姑の問題、男と女の問題……。
「華岡青洲の妻」は、そんな誰しもが抱えている問題を凝縮して目の前に提示してくれる傑作戯曲です。

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その杉村春子さんの誕生日にあたる1月4日……。
箱根の帰りに日本橋三越劇場にて新派公演「華岡青洲の妻」を観て来ました。
加恵を演じたこともある、水谷八重子がお継を好演。
波乃久里子の丁寧な小陸が最終幕まで舞台をキッチリと引き締めます。
喜多村緑郎の男気、なかなかのものでしたが、
今回、一番の収穫は、矢張り歌舞伎の世界から新派に移籍した、
喜多村一郎の鮮やかな口跡と、惚れ惚れする男前な立ち姿でしょうか。
現代劇からシェークスピアまで何でもこなせてしまいそうです。
まだまだ若い喜多村一郎の今後の活躍が楽しみです。



僕は何一つ親孝行をしないまま母に先立たれてしまいましたが、
母には嫁と姑のゴタゴタを味わわせることなかったのですから親孝行出来たと言えるでしょうか?(笑)
皆さんも是非、機会がありましたら恐ろしい嫁と姑の話しを覗いてみて下さい。


2017年1月19日


ブノワ。


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俳優の格……「かもめ」に思う。 

 

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ある一枚の写真を見て驚きました……。
今、絶賛上演中の「かもめ」の宣伝用のキャストの集合写真です。
まるで、チェーホフが「モスクワ芸術座」の面々と本読みをしている時の有名な写真と同じ構図です。
何と言う洒落た遊び心!いやがうえにも期待が膨らみます。
今、日本で最も信頼のおける、演出、熊林弘高と、上演台本、木内宏昌のコンビですしね。
佐藤オリエさんから1年くらい前から台本作りに参加していると伺っていましたし……。

アントン・チェーホフ作の「かもめ」……原作には「喜劇4幕」とあります。
今まで来日した「モスクワ芸術座」をはじめとして、数多くの「かもめ」を観てきましたが、
この「喜劇」を感じることは殆どありませんでした。
演出としての笑いではなく、台本そのものから匂い立つ喜劇のエッセンス。
そこはかとなく漂う喜劇の匂いを「かもめ」から感じたのは初めてでした。

デザインの違う椅子、巨大なカーテン、ピアノ……舞台には少ない小道具のみ。
7組の擦れ違う恋愛、トレープレフとニーナの恋を軸に、
それぞれの恋が輪廻のようにお互いに影響を与えながら回転していきます。
その中で、当時に限らず、今の代も変わらずに試行錯誤され、
語られる芸術のありようを演劇の皮を借りて論じていきます。
今を煌めく旬の若手に加え、老練な演技術のベテランがキリリと要所を締めます。



俳優には「格」と言うものがあります。
それはマスコミが囃したて、2時間ドラマの主役をやれば大女優……的な、
大根畑に大女優がゴロゴロ……何て言う思わず苦笑してしまう悲惨な笑い話ではなく、
例えば、チェーホフで言えば、この作品のアルカージナや「桜の園」のラネーフスカヤ夫人、
テネシー・ウィリアムズの「欲望という名の電車」のブランチ、
シェークスピアのマクベスやリア王に配役された時に、
その俳優の「格」が顕になります。「格」言うより「分(ぶん)」と言った方が分かりやすいでしょうか。
演劇史上の名立たるキャラクターに相応しい「格」を持っているかどうか……。
分不相応な配役は役者にとって恥ずかしいものになってしまいます。


アルカージナを演じた佐藤オリエ……愛らしくて嫉妬深い大女優を好演。
彼女の卓越した台詞術は、囁く声まで客席の最後列までキッチリ聞こえます。
アルカージナは偉大な女優で一人息子を溺愛していますが、
年齢を顧みずに若い作家トリゴーリンとの愛に溺れています。
佐藤オリエの圧倒的な演技力、演出の熊林弘高とは同じ役で2度目のタッグです。
勿論、彼女には大女優のとしての「格」があります。
アルカージナに相応しい格。若い女優の卵に嫉妬する姿に滲み出る余裕のオーラ。

ニーナを演じた満島ひかり。
女優になることを夢見てモスクワに出てトリゴーリンとの間に子供を設けるも、
やがて子供を死なせ女優としても惨めな境遇に……。
この役も役者の「格」を問われる新進女優の登龍門。
ニーナやハムレットを演ると言うことは、その時代の若手ナンバーワンであることの証明です。
但し、その後、順風満帆に行くかどうかは別問題ですが……。
夢破れてトレープレフの元に戻った後の、未来へ向ける情熱が再燃する辺りが一筋の救いです。

トレープレフを演じる坂口健太郎……まさに旬の人。
失礼ですが、意外に達者で驚きました。同行の坂口健太郎ファンの女子は、
楽屋口に出て来て友人たちと歓談している坂口くんをガン見(爆)
僕にとってはただただあの髪型が不思議以外の何者でもないんですが……。

田中圭のトリゴーリン。
上演が1年早かったら彼がトレープレフでしょう。
それだけ新しい才能が台頭してきている証明です。
自らの才能に自信を持ちながらも、若いトレープレフの才能を知り焦りを感じます。
次から次へと舞い込む仕事に流れ作業的な文筆業に辟易。
どんなに頑張ってもトルストイやゴーゴリ、ドストエフスキーには到底及ばない、
自身の才能の限界も重々承知。ずっと年上の大女優アルカージナの、
若い燕に甘んじている自分にもほとほと自己嫌悪を感じています。
どこか投げ遣りなトリゴーリンを若い田中圭が好演。

中島朋子……脇でキラリと輝きます。
しかし、マーシャに中島朋子とは!何と言う贅沢な配役。
小林勝也……枯れて来た役者の色気みたいなもの?いい味でした。
他に、あめくみちこ、渡辺 哲、山路和弘、渡辺大和。
アンサンブルが一際際立つ「かもめ」……本年度必見の作品です。


2016年11月18日


ブノワ。


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巨星墜つ。 

 

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早朝から驚きのニュースが流れました……。
平 幹二朗さんが亡くなったのです。まさに寝耳に水、青天の霹靂、
つい先日、三軒茶屋で「クレシダ」の圧倒的な演技を見たばかりでしたから……。

これが長の闘病を知っていたのなら、どこかやっぱりの得心もしますが、
何でもお風呂場での事故だそうです……本当に残念です。
日本の演劇界は掛け替えのない不世出の大俳優を1人失いました。

僕は平さんの全ての芝居を観ている訳ではありませんが、
同じ時期に生き、その素晴らしい演技を目の当たりに出来た幸運、
平さんの演技から受けたインスピレーションは計り知れないものがあります。
本物を見たからこそ見えて来る色々なもの……。

シェークスピアを筆頭に、どの舞台においても圧巻の台詞術が目を引きます。
朗々と威厳に満ちた台詞術……その劇場空間に響き渡る声色は、
一人一人の観客を包み込む魔法の声。僕たち観客をあらゆる時代へと誘います。
時に見上げるだけで登頂不可能な雄大な山、時に底も見えぬ海のように……。
矢張り、役者は「声」だと思わせてくれる偉大な俳優でした。
どの舞台も存在感溢れる素晴らしいものでしたが、
僕が印象深く思い出すのは、三島由紀夫原作の「鹿鳴館」(2004年上演)で、
佐久間良子と愛息子の平 岳大と共演した時の影山伯爵役です。
冷徹で残忍で、研ぎすまされた刃のように尊大な影山伯爵。
愛だの恋だの人情だの、人としての温かい感情と言うものを蔑み、
忌み嫌う伯爵が、自分の妻と前の恋人の清原の間に流れる真の愛情に気が付いた時、
身悶えするような嫉妬の感情に苛まれ、自らの中に存在した嫉妬と言う、
おおよそ俗人の感情に驚愕し、自らの中に流れる温かい血に愕然とし、
人としての感情に流されまいとして奸智に長けた策略をろうする辺りの、
苦悶する姿を威厳ある台詞と大きな芝居で表現していました。



巨星墜つ……。

まだまだこれからも素晴らしい舞台を見たかったのに……。
平さんから受け取った美しきものへの審美眼、
身をもって見せてださった舞台の本物のあり方は、
決して忘れることなく一生の財産になることでしょう。
二度と現れることのない大俳優に心からの感謝と尊敬の念を込めて、
心よりご冥福を祈りたいと思います。


2016年10月24日


ブノワ。


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嘘の代償……「レティスとラベッジ」&「雪まろげ」。 

 

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 「真実なんて大嫌い!私は魔法が好き。
  魔法……私は真実を語ったりはしない。そうでなければならないことを語るの。
  それが罪だと言うのなら、私は地獄に墜ちてもかまわない……。」

そう言ったのはテネシー・ウィリアムズ畢竟の傑作、
「欲望という名の電車」の中のブランチ・デュボアです。
彼女はボロボロになりながら生きるために嘘を吐く……。
人は善悪の差はあれど、多かれ少なかれ嘘を吐きます。
悪意のある嘘、人を思んばかっての嘘、優しい嘘、
ブランチのように「こうあらねばならない……。」と、
生きるために必死になって自己催眠を掛ける嘘……。

今日は嘘にまつわる芝居2本立てです。


先ずは黒柳徹子と麻実れい共演の「レティスとラベッジ」です。
何と!ソワレが1回しかない異常なタイムテーブルの初日に観劇。
働いている人はいつ観ればいいの?(苦笑)初めて訪れる「EXシアター六本木」です。

主人公のレティス(黒柳徹子)はイギリスの歴史的な建物のガイドをして生計を立てています。
担当している建物に歴史的な逸話や魅力がないため、どんなに工夫を凝らしても、
ツアー客は退屈し大あくび、赤ん坊は泣きだし、途中退席でトイレに駆け込む人が後を絶ちません。
業を煮やしたレティスは、次第に自分勝手に面白可笑しく歴史を脚色し、
ツアー客の拍手喝采を浴びるようになります。サインや記念写真を求められる人気ぶり。
その傍若無人ぶりは、やがて歴史保存委員会のロッテ(麻実れい)の耳に入ることとなります……。
即刻、ロッテにより解雇されたレティス、やがて時が経ち、
レティスに自らとの共通点を見いだしたロッテはレティスに就職の紹介状を書き、
やがて2人の間に友情が芽生えて行く……。

ピーター・シェーファーの傑作戯曲との触れ込みですが、
レティスのエスカレートする嘘を冒頭の数場で立て続けに見せる手法が退屈です。
例えば、有吉佐和子の「ふるあめりかに袖はぬらさじ」の、
お喋りで酒飲みで男にからっきし弱い三味線芸者のお園のように、
淋しくて恋に破れて自害した旧知の花魁の話が、
ひょんなことから次第次第に尊王攘夷の見上げた女傑に祭り上げられるまでの、
仕方なく吐いた嘘がやがて雪だるま式に大きくなり、最終幕の名台詞に至るまでを、
物語の中に巧く織り込んでいるウェルメイドな作劇とは一線を画します。
あれだけ頑なだったロッテがレティスに好意を寄せる過程が突飛。
一転して2幕では被害者と加害者に別れて争うことになる過程、
その驚きの秘密が何やら付け焼き刃的な匂いがします。

ほぼ2人芝居、麻実れいは「インディ・ジョーンズ・クリスタルスカルの王国」で、
ケイト・ブランシェットが嬉々として演じたソ連の女スパイ、
イリーナ・スパルコみたいなボブの鬘を被って好演。
彼女の切り口上な台詞回しがギスギスしたロッテの性格を巧みに表現します。

黒柳徹子は役を演じると言うよりは等身大の黒柳徹子そのままです。
ファンの方はそれでいいのでしょう。テレビの中の黒柳徹子を生で観られるのですから。
彼女の一挙手一投足に笑いと「可愛い!」の声が上がります。
膨大な台詞に加えて初日です。まだこなれていないのか、台詞がもどかしい場面も……。
台詞が出て来ない時についつい口を突いて出た驚きの言葉……。

 「何だっけ?」

これはある意味衝撃的でした(苦笑)
もしかしてこれも台詞の一部か?(笑)それもこれも含めて、
黒柳徹子ファンは彼女の全部引っ括めた姿を観に来るのでしょう。それもまた一興。

ただ一つだけ……。
どなたも書かないようですが、彼女の滑舌の悪さには辟易とします……。
往年のマシンガンのような早口のトークを知っているから尚更なんですが、
もはや、お金を取って芝居をしてはいけないレベルだと思うのです。
周りに進言する人はいないのでしょうか?テレビの創世紀から、
トップランナーだった彼女の晩年を汚すことにならないでしょうか。
最晩年の森 光子が正月の歴史劇で、
亡霊のようなナレーションで人々に衝撃を与えたのも記憶に新しいです。
一見、優しく見える嘘、オブラートに包んで彼女を讃えるより、
ハッキリ伝えることもまた愛情だと思うのですが……。

因みに、黒柳徹子も麻実れいも、それぞれ名前を冠した薔薇を持っています。
「トットちゃん」に「Rei」(今日の写真)……何れも素晴らしい薔薇です。

………………………………………………………………………………………………………………………………………………………………………

鳴り止まない拍手、場内は総立ちでした……。
決められたカーテンコールはあまりの拍手にさらに1回追加になり、
(場内はすでに明るくなっていた……。)沢山の人が舞台に駆け寄る有様……。

 「頑張って!」

 「応援してるよ!」

観客席のあちらこちらから声が掛かります。

16年前の「レティスとラベッジ」でロッテを演じた、
高畑淳子主演の「雪まろげ」を「シアター1010」で初日に鑑賞しました。
僕……「シアター・クリエ」は嫌いなのです。だから北千住ね(笑)
森 光子から高畑淳子にバトンタッチされた「雪まろげ」。
青森県の浅虫温泉を舞台に繰り広げられる温泉芸者たちの悲喜交々の人情話し。
新劇とも違うし、所謂、東宝や松竹などが制作するウェルメイドの喜劇とでも言いましょうか……。
因みに、僕は森 光子が苦手でしたから、オリジナル版は観ていません。
「雪まろげ」は僕の理想とする演劇とは可成りかけ離れていました。
「お江戸でござる」的な、チョッとコントのような仕立て方。
温泉芸者を演じる高畑淳子をはじめ、榊原郁恵、柴田理恵の確実で手堅い演技。
笑いを強引に取る演技手腕は大したものでしたし、
青木さやかや山崎静代の持味そのままのキャラクターで見せる人も……。
人のいい温泉芸者が善意で吐いた嘘が、ひょんなことから雪だるま式に大きくなり、
仕舞いには国をあげての大騒動に……。

高畑淳子が、夢見る夢子と揶揄される嘘つき芸者、夢子をパワフルに好演。
彼女の吐く嘘は相手を思んばかっての善意の嘘、周りは呆れるものの、
いつしかそんな夢子の温かい人柄についついほだされてしまいます。
登場人物は全員、根のいい善人ばかりなのです。
♪チュウチュウチュチュ……榊原郁恵の銀子は、一見、金の亡者なのだけど、
そこには、人手に渡った実家の造り酒屋を取り戻すと言う夢が。
自分に嘘を吐き、嫌いな客にも金のためないい顔をするドライな一面もあります。
柴田理恵の千賀子は気っ風のいい姐御肌の芸者置き屋の女将。
我が腹を痛めた娘を「妹」と偽り居酒屋をさせています。
旅館の女将もがらがら声を偽って裏声で館内アナウンスを……。
要は、嘘の大小はあれど、皆、嘘をついて生きているのです。


少し前に高畑淳子の「欲望という名の電車」を観ました。
杉村春子の圧倒的なブランチをはじめ、それまでの、一人の女が身を持ち崩していく、
所謂、滅びの美学みたいなものとはまったく違う何か、
ブランチはかくあるべし……僕たちの既成概念を打ち壊した高畑版ブランチでもありました。
彼女はブランチを演る前に、東恵美子版「欲望という名の電車」で、
妹役のステラを演じているんですよね……確かその前は看護婦役も?
洋の東西を問わず、キャリアを積んで行くと共に、
同じ戯曲の小さな役から大きな役へ移行する例は珍しいです。
舞台人としての確実なキャリア、テレビなどに置けるキャラクターの圧倒的な演じ分け、
皆さんは「ナオミとカナコ」の中国人社長、李 明美をご覧になりましたか?
圧巻の中国人像を造形した確かな演技力……。

冒頭にも書きましたが、鳴り止まない拍手、舞台に駆け寄る人々……。
そして何より「頑張って!」の声援。これからも女優道を極めて欲しいです。


2016年10月4日


ブノワ。


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秋の演劇シーズンの開幕です……。 

 

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いきなり涼しくなりホッとしていたのも束の間、
このところ、また気温が上がってチョッと体調が変ですが、
今年も秋の演劇シーズンがやって参りました。9月は年度末で忙しいのですが、取り敢えず、
神奈川芸術劇場にて「マハゴニー市の興亡」、シアタートラムにて「クレシダ」、
北千住のシアター1010にて「雪まろげ」を立て続けに鑑賞です。



今日は「マハゴニー市の興亡」と「クレシダ」についてチョッと……。

「マハゴニー市の興亡」はズゥ~っと応援している岸田研二くんが出ています。
ブレヒト+クルト・ワイル……音楽劇と言うことですが、
矢張り大きな違和感となって僕を劇中に入れなくするマイクロフォンの存在。
今の演劇では当たり前のようにマイクロフォンを使いますが、
その時点で役者の肉声が失われ大きな違和感を感じます。
僕に限らず、役者は顔と声……そう思っている方も多いのではないでしょうか?
だから僕は映画も吹き替え版は絶対に観ません。日本の吹き替え、ヘタクソだし。
今や、俳優に限らず、テレビに出ている多くのタレントが舞台に出ています。
がならず怒鳴らず、一体どれだけの俳優が観客席の一番後ろまで台詞を響かせることが出来るでしょう。

前に、僕を可愛がってくれているある女優さんに聞いたことがあります。
帝国劇場である大女優と共演した時、自分はマイクロフォンなしで演じていたのだけど、
その老女優はボソボソ話す発声が特徴で、声が小さく、一人だけマイクロフォンを使っていたそう。
(これだけで誰のことだか分かってしまいますね……。)
同じシーン、舞台の上手と下手で離れて芝居をしている時はいいのだけど、
スグ近くで演技をする時は、自分の声を老女優のマイクロフォンが拾っちゃって、
大層、難儀したそうです。異様ですよね、地声で十分なのにスピーカーからも聞こえて来る(苦笑)
今はある程度のキャパシティの劇場は漏れなくマイクロフォンを使います。
集客を第一に考えるあまり、所謂、舞台の修練を積んでいないタレントを配役します。
そりゃぁいいでしょう、各タレントにファンがついていますから、
劇場は常に満員御礼……ただし、その内容は学芸会程度のことが多いです。
ミュージカルを銘打っていても、カラオケ並の歌唱しかできないタレントたち。
演技はお粗末だし、こんなことで日本の演劇の未来はどうなるのでしょう?

今、ブレヒトを上演する意義みたいなものは僕にはよく分かりません。
ラストシーンのシュプレヒコールはいかにも舞台らしいカタルシスを感じました。
岸田研二くんは非常に姿がいいです。端正で立ち姿もキリリトしています。
このところ、大きな舞台に出るようになりました。
そうそう「シン・ゴジラ」にも!さらなる活躍を期待したいです。
最後に、中尾ミエがこのところいい感じです……。
まだまだお若いですが、もっと早くから舞台に出ていたら……。
そう思います。ハァ、勿体ない。


三軒茶屋のシアター・トラムにて「クレシダ」を鑑賞。
これは平幹二朗の独壇場でした。もうその圧倒的な演技術に釘付け!
第二幕の冒頭で、平幹二朗演じるシャンクが、
クレシダを演ずることになったスティーブン(浅利陽介)に演技を付けるシーン。
もう圧巻でした。朗々たる台詞回し、スティーブンの代わりにクレシダの台詞を言ってみせるシーン……。
一人だけ遥か彼方に旅立っているかのような次元です。
劇場の空気が一気にエリザベス朝のイギリスにタイムスリップします。
「マハゴニー市の興亡」で批判的なことを書きましたが、
平幹二朗の台詞を聞いていると、改めてその感を強くします。
決して大きな声を出さずとも、どんなに小さな囁きまでも客席の後ろまでキッチリと聞こえる台詞術。
イチローのレーザービームのように、ピンポイントで観客に届く発声。
現に、今回の芝居において平幹二朗の台詞で聞き取れないところは一つもありませんでした。
明朗で粒立つ台詞……まるで魔術にかかったように演技に引き込まれてしまいます。
1人の偉大な役者の演技術が、僕ら、観客を異次元に誘うことも可能なのです。

 「観客は劇場に普段見られないものを観に行き、衝撃を受けに来るのだ……。」

シャンクがスティーブンに言います。
正しくそう!僕ら観客は日常を忘れ、まだ見ぬ一時を過ごすために劇場の暗闇に座るのです。
平幹二朗……この偉大な役者と同じ時代に生きることの幸せ……ひしひしと感じます。


この後は、1日に麻実れいと黒柳徹子の「レティスとラベッジ」(これはもう一回観に行きます)
それからお友達の高橋紀恵ちゃんが出る「キルデンダイクの四兄弟」、
11月にはそうそうたるメンバーの「かもめ」が控えています。
熊林弘高(演出)木内宏昌(上演台本)……現在、日本で最も信頼の置けるコンビに加え、
佐藤オリエ、田中 圭、坂口健太郎、中嶋朋子、満島ひかり……楽しみです。
その他にも日程の調整をしている作品が4本……アッと言う間に年末です。


今日の写真は数年前に撮った岸田研二くんの超美麗ポートレート。
確か、大晦日だったかな?大事な行事のリハーサルの時……懐かしいです。


2016年9月29日


ブノワ。


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花螢の呪縛。 

 

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台風9号が首都東京に上陸したまさにその夜……。
こまつ座の旗揚げ公演で、井上ひさしの傑作戯曲「頭痛肩こり樋口一葉」を観てきました。
メンバーは親友のT、傾国の美女M、あけにルーシーグレイのお2人。
それから、偶然同じ日だった大好きなKさんと、そのお嬢さんのNさん。
この戯曲は物語の内容から上演される時期は必ずお盆前後と決まっています。
初演こそ見逃していますが、あとの公演はすべて複数回、観ています。
(初演はビデオにて鑑賞、松竹版は未見……。)
延べ30回以上は下らないかな?今回は前回公演とほぼ同じ顔触れで、
樋口夏子(一葉)だけが小泉今日子から永作博美にバトンタッチです。

舞台は1場だけ10月の龍泉寺町であることを除き、
他の場は、明治23年から明治31年のお盆の7月16日を舞台にしています。
女優だけしか登場しないこと、幽霊の花螢は主人公の夏子にしか見えないこと、
毎年のお盆の17日が舞台であること……このように幾つかの決まり事が上手く機能すると、
非常に素晴らしい舞台になる可能性が高いです。


登場人物は……。

  樋口多喜(一葉の母)……三田和代
  樋口夏子(後の樋口一葉)……永作博美
  樋口邦子(一葉の妹)……深谷美歩
  稲葉 纊(二千五百石どりの旗本、稲葉家の末裔)……愛華みれ
  中野八重(樋口家の昔なじみ、後に身をやつしてお女郎になる)……熊谷真美
  花螢(吉原のお女郎の幽霊……記憶をなくし誰を恨むか迷っている)……若村麻由美


さて、お盆の度に登場人物たちの境遇がめまぐるしく変わって行きます。
幾つかの決まり事を観客も一緒に楽しむようになり、
いつしか自分を登場人物の誰かに重ねるようになります。
特に女性はたった6人の女優が演じるキャラクターに自分を重ねる部分が多いのでしょう。
それは、舞台になった明治も、今、平成の世も、
相も変わらず連綿と続く女性が社会で生きることの難しさ、
自らを取り巻く義理人情の網、女だからと頭ごなしにダメだしされ、
個性的であれと言われつつ、その実、出る釘は打たれる現状。
男女平等が謳われて久しいけれど、女性であることの大変さ、
母として、また、娘としてのそれぞれの思いが重なる故でしょう。
登場人物6人の力強い生き様、世間にがんじがらめになり、人生に疲れ、
事業に失敗し、夫に裏切られ、恋に破れ、借金に苦しみ、お女郎に身をやつし、
創作にもがき苦しむ……それでも大地に足をしっかりつけ、決して後悔しないように、
その時々を生きる逞しさ……そこに共感し涙するのでしょう。

 「私達の心は穴の開いた入れ物、私達の心は穴だらけの入れ物……。」

花螢と言う幽霊を触媒に、あの世とこの世を行き来する一葉。
笑いの陰に悲しみが、憤りの陰には笑いが潜む絶妙の作劇。
井上ひさし、渾身の大傑作です。

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閑話休題……。

「頭痛肩こり樋口一葉」で、僕が目撃した面白いエピソードがあります。
僕が一番最初に観たのは、再演の時、花螢役の新橋耐子さんに招待されて、
初日前日のゲネプロを見せて戴いたんです。周りは関係者ばかり、評論家や俳優ばかりでした。
部外者の僕は身を小さくして暗闇に座っていたのですが……。

いやいや、兎に角、面白い……抱腹絶倒とはこのことを言うのでしょう。
一般に、映画館や劇場で声を出して笑うのは憚られますよね。
でも、本当に声が出てしまうくらいに、突飛に笑いのツボを刺激されるシーンの連続でした。
舞台に向かって中央、前から10列目くらいに、横一列にテーブルが並べられ、
そこに台本を手にしたスタッフが何人か座っていました。手元には小さなテーブル・ライト。
それぞれに自分の持ち分のチェックしています。台詞をチェックする人、
台詞と音楽などの間をチェックする人……でも、それらの人達も、
初めは声を潜めて笑っていたのですが、次第に我慢することを止め、声を出して笑っています。
中に一際大きな声で、しかも、椅子から転げ落ちそうになって笑っている人が一人……。
小さなテーブル・ライトに照らされたその顔は、何と原作者の井上ひさしご本人ではありませんか。

新橋耐子演じる幸薄い吉原のお女郎の幽霊、花螢。
記憶喪失になり、取り憑く相手が皆目分からないお人好しの幽霊、
花螢の一挙手一投足に声を出して笑っています。自分が書いた本なのに……。
後に、そのことを新橋さんにお話ししたところ、
凄く嬉しそうな顔をしていましたっけ……。
役者にとって、生涯に掛け替えのない当たり役が一つでもあることの幸せ、
原作者を笑い転げさせる事が出来た快感はどんなものだったのでしょう。

井上ひさしが新橋耐子に当て書きした花螢は、
日本の演劇史上、稀に見る強烈なキャラクターです。
夏子のもとにひょんなことから現われるようになった花螢。
どうやら生前は吉原のお女郎をしていたらしいのですが、
恨む相手をボンヤリ忘れ、次から次へと恨みの大元を探して、
弱い足を引きずって恨むべき相手の枕元に化けてでる花螢。
このチョッとトボケたお女郎の幽霊が、女であることの苦しさや差別、
必死にあがいている女たちの間に入り(夏子以外に花螢は見えない……。)
絶妙なお笑いを提示します。そして、そこはかとない哀れ、悲しみが行間から滲み出て……。

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さて、今回の公演のことなどをチョッと……。
つくずく思うのは、今までに評価の出来上がった作品を一から作り直すことの大変さです。
演出が前回から今までの木村光一から栗山民也に変わりました。
台詞は殆ど変わりませんが、木村光一が作り出した演出を一切使えません。
シェークスピアやチェーホフを形や演出を変えて上演するのとは訳が違います。
数限りない制約の中で俳優だけが変わって上演する難しさ。
どこか、いつか見たような既視感を覚えるのは無理もないことです。

一番、顕著なのは花螢の造形です。
初演から一貫して新橋耐子が豊かに肉付けし、膨らませて来た役。
これは同じ演出で他の女優が全く異なった形で演じるのは不可能です。
漏れ伝わるところに寄ると、ベテラン女優のE.Iや、
なぜか芸能界のご意見番と呼ばれるP.I……多くの女優がこの役を望んだそうです。
おそらく彼女たちに役が廻ったとしたら、それなりの個性で面白くなったと思いますが、
今回、栗山民也によって新しい演出になったとは言え、一度でも新橋版の花螢を見てしまったら、
その呪縛からは絶対に逃れられないと思うのです。それ程、強烈で素晴らしい役作り。
日本の演劇史上に燦然と残る女優の演技ではないでしょうか。
本来、タイトルロールの樋口一葉にはその時々のスター女優が配役されます。
そして、全体を締める意味で母親のお多喜にベテランで達者な女優を配します。
妹、邦子には若手の実力者を、稲葉 纊には宝塚のOBなどから配役することが多いです。
ところが、いつしか上演を重ねるごとに、芝居の扇の要は新橋耐子の花螢になってしまいました。
周りにどんな大根が来ようと、棒読み女優が来ようとお構いなし。
その公演、公演で、時に儚気に、時に猛々しく、時にコミカルに……。
美しい着物の裾捌き(足が見えない!)哀しさの中に滲み出るお色気。
滲むと言えば、戯曲のト書きにこうあります。

 「このとき、上手の部屋の壁の向うから、滲むように花螢が表われる。」

 「このとき、下手からふわぁーっと出て来た女がある。」

この無理難題な登場シーンに現実味を与え、
自在に役作りを変え、周りの女優との調和を計りつつ、
自らの花螢を創造して行った役者根性は見事という他ありません。
扉が「ぎぎぃぃぃぃ〜!」と開いただけで客席から笑いが起きる凄さと観客の期待感。
「♪だらららぁ〜ん」……花螢が登場する音楽が鳴っただけで、
場内から「出たぁ〜っ!」と声が上がる人気振り。

新橋耐子のあと、大橋芳枝(新橋耐子の交通事故による代役出演)、
それから前回に引き続き、若村麻由美が演じていますが、
まるで新橋耐子の亡霊が取り憑いたかのように演技がソックリなんです。
演出家は今までの木村光一から栗山民也に変わりましたが。
演出家が変われど大元の戯曲は一緒なので、また、新橋耐子の花螢を見てしまったら、
その強烈な演技に影響を受けるのは必至です。



三田和代……鈴が鳴るような涼やかな声とドスの効いた声を使い分け多喜を好演。
勿論、大女優の域に達していますが、老け込まずにもう少し若々しい役が見たいかなぁ……。
チェーホフとか「欲望という名の電車」のブランチとか……。

もう一人の陰の主人公、邦子を演じた深谷美歩、なかなかの好演でした。
この役は最初から最後まで全ての登場人物と関わる芝居の要です。
自分の台詞がない時も受けの芝居をキッチリとしておかなければ芝居が成り立たない難しさ。

熊谷真美は中野八重と双葉屋のお角を見事に演じ分けていました。
特にお角になってからの蓮っ葉で世を捨てた感が半端なかったです。

若村麻由美の花螢……前回よりも可成りこなれていて好演。
但し、どうしても新橋版花螢と較べてしまうのは仕方ないです。
そして、点数が辛くなってしまうのも仕方がない。
それは舞台女優としての格の問題もあるし、
僕らが未だに新橋版の花螢を熱望しているからになりません。
新しい演出と今回の若村版と以前の新橋版と較べるのは失礼なのだけれど、
文化は比較しなければならないし、比較されてしまう運命にあります。
昔を知っている観客は少々、点数が辛くなるのではないでしょうか?
それから花螢を演じて以降の、他のテレビなどの若村麻由美のコメディーの演技にも疑問を持ちます。
こちらも自分んが演じた花螢の呪縛から逃れられないでいるのです……。
非常に華がある美人だけに勿体ない気がします。

永作博美の夏子は思った通りの好演でした。
特に夏子が幽霊になってからの台詞の一々が、ハッキリと客席に伝わる見事さ。
これほどメッセージをストレートに客席に伝える役作りは素晴らしいです。

 「邦子、しっかりおやり!世間体なんか気にしちゃダメだよ。」

邦子の背中に投げかける多喜の言葉が身に染みます。


今日の写真は、今回の劇場「シアタークリエ」の前身、
今はなき「芸術座」での公演の時、新橋耐子さんに頼まれて、
昼夜好演の楽屋と舞台袖に控えて撮らせて貰った写真のうちの1枚です。
当時は勿論、フィルムカメラ、モノクロームを中心に撮った楽しい記憶があります……。
最後に一つだけ……シアタークリエ級の中劇場において、
マイクロフォンを使わないと台詞が後ろまで通らないのが今の役者の現状なのでしょうか。
マイクロフォンを通した声は、矢張り肉声と違い、
どこか観客と役者の間に大きな壁を作ってしまうように思うのですが……。

この記事は過去の記事に大幅に加筆修正してアップしています。


2016年8月26日


ブノワ。


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マクベスに思う……。 

 

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シェークスピアの四大悲劇……。
「マクベス」「リア王」「ハムレット」と3つ来て、間違えやすいのが、
4つ目に「ロミオとジュリエット」ではなく「オセロー」が入ります。
僕は「ロミオとジュリエット」を入れて五大悲劇でもいいと思うのですが……。

その四大悲劇の中でも「ハムレット」と並ぶ人気作、
「マクベス」の最新映画版を見て来ました。
マクベスにマイケル・ファスベンダー、マクベス夫人にマリオン・コティヤール。
当代きっての人気俳優です。「IMDb」でざっと調べると、
マクベスだけで174もの作品が映画化、テレビ化されています。
そうそうたる役者陣がマクベスを演じ、日本でも翻案の「蜘蛛巣城」で、
三船敏郎がマクベス(鷲津武時)を、山田五十鈴がマクベス夫人(鷲津浅茅)を演じています。
優れた戯曲が垣根を取り払い様々な方面に影響を与えたいい例です。

映画を観終わって、非常に残念だったのは、
マクベスもマクベス夫人も狂気が全く伝わって来なかったこと。
魔女の予言、さらにマクベス夫人にそそのかされて主君を討ったマクベス。
マクベス夫人はそのマクベスと同じか、
それ以上に欲に目が眩んだ女の成れの果てを演じなければいけません。


「マクベス」……★★★★★……50点。




さて、先日惜しまれながら亡くなった蜷川幸雄……。
僕が彼の作品で一番最初に観たのが「NINAGAWA マクベス」でした。
初演ではなくて、津嘉山正種のマクベス、栗原小巻のマクベス夫人。
帝国劇場の舞台を巨大な仏壇に見立てたセット。
冒頭、魔女(老婆)が巨大な扉を開くシーン、栗原小巻の圧倒的な狂気。
舞台を観始めたばかりの青年には驚きの連続でしたが、
その後、蜷川作品に興味を持たなかったのは何故でしょう……。
「NINAGAWA マクベス」から亡くなるまでに、なんと6本の作品しか観ていません。
「にごりえ」「欲望という名の電車」「七人みさき」「元禄港歌 ー千年の恋の森ー」
それから「KITCHEN」「タンゴ 冬の終わりに」のみ。
「にごりえ」は非常によく出来た舞台でした。樋口一葉の作品のオムニバス。
それぞれのパートの俳優陣が精一杯の力演で、とても良く、1本の作品として纏まっていました。
浅丘ルリ子がブランチを演じる「欲望という名の電車」は珍品だったなぁ……。
スタンレーを在日朝鮮人に置き換え(これはなかなかいい趣向だと思った……。)
同じく帝国劇場の舞台を巨大な蝶の標本箱に見立てていました。
何と言っても登場人物が少な過ぎましたね。これでもかって言うくらいの大人数を舞台にあげ、
人海戦術で見るものを圧倒する蜷川作品ではなかった。
他の6本も、僕を可愛がってくれていた女優さんが出るとか、
今は超売れっ子になりましたが、当時はまだまだ無名で、
可愛がって応援していた俳優くんが出ているとか……。
そんなこんな、チョッぴりお義理の観劇で、自分から蜷川作品と言うことで観に行ったことは皆無です。
僕の琴線に触れなかったんですね……蜷川作品だから素晴らしいって言うこともないし。
ただ、演出家の名前が冠で作品につくのは凄いことだと思います。
ただし、演出家はあくまでも陰の存在。主役は矢張り役者だと思うのですが……。

今、日本に信頼の置ける演出家が何人かいますが、
蜷川幸雄みたいな演出家は2度と出て来ないことも事実。
一世を風靡した彼の演出スタイル、日本の演劇も随分と様変わりしましたが、
彼が蒔いた種が見事に発芽し、美しい花を咲かせることを心から願います。


2016年6月14日


ブノワ。


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拍手鳴り止まず……「8月の家族たち」。 

 

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そして誰もいなくなった……。


ヴァイオレットと、彼女がことあるごとに「インディアン」と、
わざと聞こえるように口に出して蔑んでいたジョナを残して。
いや、蔑んでいたかのように見えて、実は頼りにしていたジョナを残して……。

暗転から照明が点き、晴れやかな顔の出演者たちが舞台に揃うと、
拍手が鳴りやみませんでした。思いがけずカーテンコールを予定外にもう一回……。
その時の役者陣の晴れやかな顔……観客と役者な1つになる素晴らしい瞬間です。


トレイシー・レッツ原作の「8月の家族たち」の初日を観てきました。
2年前に公開されたメリル・ストリープ主演の映画版がありましたね。
舞台は日本初演になります。主演は大女優麻実れい。映画版のメリル・ストリープといい、
洋の東西のトップの女優が主役を努めることに相なりました。


オクラホマ、灼熱の8月……。
一家の主人で詩人のべバリーがネイティブ・アメリカンのジョナを家政婦に雇うにあたり、
書斎で一家の少々込み入った事情を話して聞かせているところから始まります。
その時、2階から聞こえてくる唸り声のような罵声……口腔癌を煩い、
薬物治療によって朦朧と意識の定かではない妻のヴァイオレットです。
悪口雑言、恰好の獲物を見付けたかのようにジョナとべバリーに噛み付きます。
その口汚い台詞、その辛辣さと鋭さは、その後に続く一家の諍いの最中にも何度も繰り返えされます。

そしてべバリーのいきなりの失踪と死……。
急遽各地から集まる散々になっていた家族たち……。
それぞれに訳有りでいわく付きの家族たち……。
それぞれに秘密を抱え、人知れず苦悩している家族たち……。
8月の暑さでうだり、噴き出す汗のように一気に日頃の憤懣が爆発し、
べバリーの葬儀の後の昼食会は、相手の傷に塩を擦り込むような、
辛辣な言葉のやりとりで修羅場と化します。そして驚愕の事実が陽の下にさらされ、
傷ついた家族たちは、またそれぞれの生活に戻って行きます。
身の回りに誰もいなくなったヴァイオレットと、一人彼女に忠実なジョナを除いて……。

映画版の救いようのない暗さと攻撃性は少し薄れ、
どちらかと言うと、コメディータッチの中に手際良く物語が進行します。


ヴァイオレットを演じた麻実れいが圧倒的で素晴らしいです。
決して毒舌&辛辣なだけではなく、幼少時から自らも虐げられて来た痛みと心の傷を、
安定することのない精神状態の中にチラチラと垣間見せて見事でした。
夫を自殺から救えなかった妻の悲しみと憤り、自責の念、悔しさが哀れを誘います。
毒舌でシニカルと言う、一見、演じやすそうな役柄に深みと陰影を色づけした造形は、
大女優の面目躍如、見事と言うしかありません。

長女バーバラを演じた秋山菜津子……好演。
なんと3年先までスケジュールが埋まっていると言われる人気女優の、
母親とはまた違った人生に対する憤りと、失敗した結婚への後悔……。
弾けるような辛辣さぶりを見せて怪演。
今まで観た彼女の舞台の中で一番魅力的だったかもしれません。

次女アイヴィーを演じた常磐貴子の成長……。
自らを滅し、家族(母)の犠牲になっていた次女の旅立ちを悲しみの中に好演。
彼女の報われない恋が灼熱の地の遣り切れないこう着状態に一陣の風をもたらします。
仁王立ち、棒読みの美しいだけが取り柄だった昔が嘘のようです。

三女を演じた音月 桂のカレン。
軽く浅はかでけたたましく自分中心の身勝手な三女。
自らの不幸の原因、男運のなさの理由を知り尽くした女の陰影を演じ切り見事でした。
しかし、美人女優たちに口汚い台詞や放送禁止用語を言わせる、
いわばマゾ的な喜びは舞台ならでは、テレビでは決して味わえない醍醐味でもあります。

ヴァイオレットの妹、3姉妹の叔母マティ・フェイを演じた犬山イヌ子。
こちらは映画版とガラリと趣を変え、そう、映画「俺たちに明日はない」の、
エステル・パーソンズのような役作りが場内の笑いを誘います。
暗くなりがちな内容の物語にリズムと救いの効果をもたらします。

初舞台だそうです……驚きの小野花梨。
バーバラの娘を演じていますが、等身大のティーンの姿は天晴れ。
大先輩たちに囲まれて素晴らしいスタートを切りました。

ほぼ一幕の冒頭のみの出番で圧倒的な存在感を示す村井国夫の魅力。
「華岡青州の妻」の最終幕で、出番がないのに圧倒的な存在感を示した杉村春子のように、
あたかもそこにいるかのような存在感を示します。
彼が演じる知的で屈折した詩人の人生の影が、最終幕まで生きて舞台上に存在する不思議。

チョッと驚いてしまったのですが、
演出のケラリーノ・サンドロビッチ……全く知りませんでした(苦笑)
これだけ足繁く劇場に通い、古典から新劇、小劇場まで観ているのに……。
世の中まだまだ知らないことが多いですね。


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今日の写真は僕のオリジナルの薔薇。
麻実れいさんにお名前を頂戴した「Rei」です。
2番花のことは全く考えず、思い切り長くカットしました。
今回の公演は、まさに薔薇の最盛期!麻実さんに「Rei」の花束をプレゼントすべく、
自宅の2鉢では心許ないので、売れないのに律儀に僕の薔薇を扱ってくださっている、
「ルーシーグレイ」からもう2ポット取り寄せて、
膨らむ蕾に浮き浮きしながら初日を待っていたのですが、
な、な、な、なんと!4月から気温の高い日が続き、
あれよあれよと言う間に花開いて来てしまいました……。
咲き始めたものからカットして冷蔵庫に(笑)
そうやってようやく纏めた花束……麻実さん、喜んでくださったでしょうか。
前にお持ちした時は楽屋に飾られて楽しまれた後はドライにして自宅に持ちかえられたそう……。
素晴らしい大女優にお名前を戴き、その薔薇の花束をプレゼントさせて戴く幸せ、贅沢は、
作出家冥利に尽きると言っても過言ではありません。
「Rei」……自分で言うのもなんですが、
豊かな匂いと、蕾から散りゆくまでの移ろいが何とも美しい、
なかなかいい薔薇だと思います。


2016年5月16日


ブノワ。


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ひょっこりひょうたん島、沈没す……。 

 

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こりゃぁヒドい……。
まるで学芸会でした……百歩譲って大人の学芸会ね。
開幕早々、賛否両論、批評が入り乱れていたみたいです。
勿論、芝居の出来って、素晴らしいにこしたことはないのだけれど、
ダメならダメで、出来が良くない芝居も、悪口でも何でも後で色々と議論が出来る作品が望ましいです。
感じ方、評価は人それぞれ、同じである必要はありませんから。

理解できないものを周りに合わせて良しとし、面白くないものを面白いと言う……。
知ったかぶりをして識者ぶるのは往々にしてあること。
一億総評論家の今の時代、知ったかぶりで評価をする人を良く見かけます。
また、下手クソな演技や聞くに堪えない歌を、まるで腫物に触るように、
批判することをタブーとする悪しき習慣もあります。
矢張りそれは同業者の中に多いですかね……傷を舐め合う的な感覚?
去年、元宝塚トップのミュージカルを観に行きました。
歌……チョッとお粗末だったかな?それを同業の友人に言うと……。

 「あ……それはチョッと……。」

どうやらタブーらしいのです(苦笑)
僕らには面白くないものを面白くないと言う権利があります。
お高い観劇料を払っているのですから。ただし、初めから批判的な目で見る訳ではないし、
悪口を言うために観に行くのではないし、それなりに勉強をし、アンテナを張り巡らせ、
素晴らしい時間を役者と共に過ごす努力を怠ってはいないつもりです。
「ひょっこりひょうたん島」はかれこれ50年前にオンエアされていた人形劇です。
今や実際の映像を知らない人が殆どではないでしょうか?


ストーリー……ありません。
人形劇を生身の俳優が?キャラクターはそのままでしたが、
何しろ心踊る訳ではないし、椅子取りゲームのシーンなど、幾つか笑える場面もありましたが、
全編に渡って超低空飛行(苦笑)良く言えばオムニバスのような作りになっていましたが、
何の脈絡もないエピソードが繰り返され、起承転結もありません。

脚本は稽古中に改訂されたり、新しいものが出来て来て、
それをワークショップよろしく出演の俳優たちも加わり、
あぁだこぅだ言いながら組み立てて行ったそうです。
僕ら、観客は、皆さん予定をやり繰りして時間を作り、
チケット代11000円の大枚叩いて劇場に足を運ぶ訳です。
そんなワークショップでのお仲間意識、甘々なムードで和気靄々と作ったものを、
見せられたのではたまりませんね(苦笑)キッチリとした戯曲を書ける人はいないの?

安蘭けいと井上芳雄……歌える役者がいるのです……はぁ、勿体ない。
2人で掛け合うシーン……そのまま「サンセット大通り」になればいいのに(苦笑)

本の面白さと言うより、久保田磨希など、
役者の魅力で無理矢理笑わせた椅子取りゲームのシーン。

 「美味でございますぅ……。」

久保田磨希に言わせるえげつなさもなく、中途半端な弾け方。
真那湖敬二、白石加代子……達者な役者が出ているのです。
白石加代子のドンガバチョ!キャスティングを聞いた時は引っ繰り返りました(笑)
あぁ、勿体ない、勿体ない。小松政夫なんて出ていたのにねぇ……。
どんなダメな芝居にも美点はあるものですが、これはイケません。
「ひょっこりひょうたん島」……悲しくも沈没でした(苦笑)

ラストの「宝物を探せ」のエピソードも、
例えば探していたものは、実は身近にいた青い鳥だった……みたいな、
夢も教訓も啓示も、何もない「ひょっこりひょうたん島」でした。



今日の写真は観劇後に食べた美瑛産の牛肉のポワレ……。
赤ワインを煮詰めたソースの海に浮かぶ極上の肉。焼き方も丁度でした。
友人3人でムンムンしながら食べました(笑)これが美味しくなかったら、
テーブルを引っ繰り返すところでしたよ(笑)でもこれで4500円……ちゃんちゃん!


2016年2月20日


ブノワ。


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