蒼井 優の「アンチゴーヌ」を観る。 

 

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演劇とは時代を映す鏡……だと僕は思っています。

優れた戯曲とは、時代が変わっても普遍的に通じるテーマがあること。
物語が観客の共感を得なくてもいいし、突き放す内容でもいいです。
演劇なんて楽しいだけがその魅力じゃないしね。
捉え方が通り一遍等ではなく、あらゆる方向から見ても魅力的であること。
万華鏡のように光の当たり具合で見え方が変わり、
テーマへの切り口が、どの方向から見ても魅力的であること……。
なかなかそう言う素晴らしい戯曲に出会うのは稀です……。


先日、友人の高橋紀恵ちゃんが出ている「アンチゴーヌ」を観て参りました。
オリジナルはソフォクレスのギリシャ悲劇「アンチゴネ」、
それを元に、フランスの劇作家、ジャン・アヌイが、
ナチスの影が色濃い1944年に発表した「アンチゴーヌ」です。

自らが望まなかったとは言え、王になったからには、法と秩序を守り、
人民を導く正しい王であらんとするクレオン(生瀬勝久)と、
その姪で、オイディプスの娘であるアンチゴーヌ(蒼井 優)を中心に、
充実の役者陣による舞台化でした。僕の中では早くも今年度のベストかな。

紀元前442年頃に書かれたとされるソフォクレスの「アンチゴネ」が、
ナチス・ドイツの影響下の1944年のフランスでアヌイにより「アンチゴーヌ」となり、
それが現代のこの東京に瑞々しく復活するには理由があるのだろうと思うのです。
1944年の時点で王であるクレオンはナチス・ドイツを体現し、
それに対するアンチゴーヌは正義と民衆を表します。
それでは現代においては?見るものにとって如何様にも捉えられるのですが、
例えば、既に小さな独裁国家と化した安倍政権が、ナチス・ドイツ→クレオンに。
ナチス・ドイツに迫害されたユダや民族→現在の日本国民と見るのもいいでしょう。
間違っていることに身を賭して「No!」を突きつける勇気。
青いと言われればそれまでだけれど、自らの信念に忠実に生きるアンチゴーヌの姿を、
今の自分に置き換えてみるのもまたいいのではないでしょうか。


生瀬勝久がその美しい声とともにクレオンを好演です。
ただ単に正しくあろうとする王を演じるのではなく、
その心の奥底にはアンチゴーヌに対する愛情が深く刻まれているのを、
表情や声から的確に滲み出させているのが秀逸です。

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コロスを演じた高橋紀恵の充実。
コロスとは物語の語り部、狂言回し的な役所ですが。
アヌイの「アンチゴーヌ」がナチス・ドイツの影響下ということもあり、
無表情に徹し、黒の制服に身を固めて微動だにせず、
一際低い声色で強制収容所の監視を思わせる役作り。
演劇のカンパニーにおいて、安心して扇の要を託せる役者がいるのは、
演出家も心強いのではないでしょうか。
「サド侯爵夫人」のルネを演じた新進の若手女優は、
大劇場にて淀君を演じたりするベテランの個性派女優になりました。
芝居の折々に見せる的確な演技、そして、ラストでの、
舞台の全てが集約される印象的な(映画的な)手の芝居……。
役者冥利に尽きるのでは?などと思うのは友人の買いかぶりでしょうか。

そして蒼井 優の溌剌……。
弱冠20才のアンチゴーヌの短い青春の煌めき、
自らの信念に忠実に生きようとする乙女の一途な姿が印象的でした。
死を命じられたあと、叔父である王から驚きの真実を聞かされます……。
揺らぐ信念、自分が死を賭けてでも貫こうとした正義が見事に瓦解します。
再び蘇って来る生きて愛する恋人と添い遂げたいと思う気持ち……。
「アンチゴーヌ」が物語として成立するかしないかは、
彼女が真実を知らされた後、折れた心を再び奮い立たせ、
最後には自らの気持ちを鼓舞するように、
王に向かって「料理人!」と蔑み挑発し、
自分の思い通りに物語を終結させるアンチゴーヌの逞しさと芯の強さ……。
そこにどれだけのリアリティーを持たせるかだと思うのです。
ゴメンなさいと許しを来い、愛する婚約者と幸せな未来を築けるのですから。
それをせず、死を選択したアンチゴーヌの心の中は?
その心模様を観客に納得させられなければこの芝居は成立しません。
まだ世間知らずの子供時代から大人になるにつれ、
人は不正を知り、世の中が欺瞞と嘘で固められた世界であることに気付き、
正しいことだけでは生きて行けないことを身を以て知ります。
アンチゴーヌが自らの命を引き換えに選んだ道は、
果たして若さ故の青さか、はたまた、そこに命を賭す意義を見いだしたのか、
蒼井 優の演技が絵空事ではない何かを見せてくれたのが凄いです。
今年度の演技賞を総舐めするであろう、
蒼井優の代表作になるであろうことは間違いありません。
カーテンコールの清々しい笑顔……それが何より、
芝居の出来を表しているように思えます。


「アンチゴーヌ」はもうスグ東京公演を終えますが、
この後、松本、京都、豊橋、北九州を1ヶ月かけて廻ります。
お近くの皆さん、是非、素晴らしい「アンチゴーヌ」をご覧になってみてください。

今日の写真は随分昔にパリの美術館で撮った1枚……。
ルーヴルだったかなぁ……記憶に定かではありませんが、
ラストでの蒼井 優の「生きたい!」と願う指先と、
天上から降り注ぐ一陣の砂にかざした高橋紀恵の手……。



2018年1月25日


ブノワ。


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すべての四月のために。 

 

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今回の京都……訪問の理由ですけど、
チョッと前に、親友で京都でビストロをやっている、
YくんとAちゃんとメールのやり取りをしている時、
Yくんが、生まれてこの方1度も芝居を観たことがない……。
そんな重大発言をするものだから(笑)
丁度、東京公演が終わり、京都と九州公演がある、
麻実さんの「すべての四月のために」を一緒に観よう!
と、言うことになり、チケットを取り、いそいそと京都詣でと相なりました。

取ってあったチケットの時間が昼と夜を間違えていたため(苦笑)
ディナーのレストランを泣く泣くキャンセルさせて貰ったり、
逆に、ランチをする店を前日に予約して貰ったりと、僕にしては珍しいポカ。
事前になってギリギリのドタバタでしたが、
そこはチームワークで見事乗り気って楽しい京都滞在となりました。



さて……「すべての四月のために」……。
姉妹もの、三姉妹もの、四姉妹ものに優れた作品が多いです。
圧倒的なのはテネシー・ウィリアムスの「欲望という名の電車」。
谷崎の「細雪」チェーホフの「三人姉妹」オルコットの「若草物語」……。
他に映像だと「宗家の三姉妹」や「海街ダイヤリー」など。
時代の流れや、一つの出来事に対して、
姉妹それぞれの立場から眺めることにより、
キャラクターが際立ち、性格付けがしやすいからでしょうか……。

「すべての四月のために」は四姉妹がメインになって物語が語られます。
春子、夏子、秋子、冬子……それぞれの青春。
物語の舞台は、韓国は木浦(もっぽ)の南に位置する済州島。
島で1軒だけの理髪店を経営している家族と、
駐屯している日本軍の兵隊たちの物語。
日本の敗戦を目前に、否応無しに時代に流されて行く人々。
あるものは戦場に散り、あるものは志半ばで短い命をなくし……。
この時代、どこにでもあった市井の人々の喜怒哀楽、運命を、
閉ざされた島という空間に見事に描き切った鄭 義信の手腕は凄いです。
マイケル・チミノの傑作「ディア・ハンター」を例に取るまでもなく、
前半の秋子と萬石の結婚式に始まる幸せの長丁場によって、
後半の暗雲立ちこめる戦況と家族たちの運命の対比が際立ちます。



四姉妹の長女、冬子を演じた西田尚美。
全編、足を引きずっての熱演でした。
骨折して足を悪くしてからの屈折した生活。
自らを滅して家族のためにかいがいしく尽す冬子の悔しさ、
まだ思い切れていない、夢見ることを捨てられない自らの幸せな未来……。
沸々とした情熱を的確に演じていました。

次女の秋子の臼田あさ美。
主人公、萬石(まんそく・森田 剛)と結婚するも、
夫が長女冬子への思いを断ち切れずにいてその狭間で苦悩します。
そこに日本兵、高田太平(稲葉 友)が現れ……。
2人の男の間で揺れ動く女心を好演。

三女の夏子!華やかに演じるのは村川絵梨。
四姉妹の中で一際明るく美丈夫な夏子。
夢は大きく大きく、李 香蘭のような大スターになること。
彼女のキャラクターが暗くなりがちな物語の一服の清涼剤になります。
元夫、張 春根(チャン・チュナン)を演じた、中村靖日とのコンビで会場を沸かせます。

さて、四女の春子を演じた伊藤沙莉の清々しさ。
日本軍に対する若い憤りを破壊工作を手だてとして発露します。
恋人で志願した憲兵の金 大雲(キム・テュウン)を演じた小柳 友と共に、
戦争に引き割かれた恋人たちを等身大で表現。

 「春は梅、桃、桜で一杯。レンギョウで一杯、ツツジで一杯。
  夏は朝顔で一杯、夕顔で一杯……。」

2人が折りある毎にマッコリを飲む口実を呪文のように唱えるのが可愛らしいです。
堂々とした体躯の小柳 友は、今回は吃音の志願兵です。
「アンサンディ/炎」の時の屈折した繊細な弟シモン役が嘘のよう。
時代も国籍も違うキャラクターの構築は見事でした。

父親を演じた山本 亨……。
初めて見たのは10年前のTPT公演、
「エンジェルス・イン・アメリカ」のロイ・コーン役でした。
まだ若いのに、陰のフィクサー的な悪役を熱演。
既にベテランの域に達した感があります。

片足の日本人将校を演じた近藤公園……。
この方が今回一番、肉体的にキツかったのではないでしょうか。
地雷で片足をなくした軍人の、そして、1人の人間としての諦めと自嘲。
そして、狂おしいまでの冬子に対する思慕。
それらを実直な軍人の姿を通して僕ら、観客に見せてくれました。

今回は脇に廻った感のある麻実れいでしたが、
後半に印象深くも圧倒的な演技を見せます。
日本軍に連行されそうな春子を引き止めるための、
あらゆる手を使った愁嘆場は、母の愛情の深さと、
子供を守るためには身を挺してでもやり遂げようとする決意を、
圧倒的な演技力で見せてくれます。
全編に渡る麻実れいの軽いコメディータッチの演技と、
件の悲劇のシーンとの対比が見事なコントラストを見せます。

主役の萬石(2役で息子の萬吉・マンギル)を演じた森田 剛。
冬子に思いを寄せながらも秋子と結婚し、浮気までされてしまう、
何とも優柔不断で情けない男をコミカルに演じます。

 「ジャニーズで誰が一番演技が上手いか?」

そのような不毛な問いをよく見かけますが、そう言うこと抜きに、
この方のスター性は凄いです。劇場が満席になるんですから。

最後に一つだけ……。
森田剛の圧倒的な人気に驚きました……会場を埋め尽くすファンの皆さん。
前に観た「鉈切り丸」の時もそう、ファンの皆さんの熱狂。
大劇場を満席にするスターの力は凄いです。
だったら何故?……尚更思うのですが、
ファン受けを意識した演出は止めた方がいいです。
ミネラルウォーターを一気に飲み干してファンにアピールしたり、
「あぁ!こんなところに地図がぁっ!」……などと、
特定のファンに媚びへつらうようなことはさせず、
堂々と台詞で勝負すればいいのです。それが出来るんですから。
笑いとはその言葉(台詞)の行間やタイミング、
そして、役者の体の動きから生まれるものだからです。



5年先、10年先、50先に、こんな時代もあったんだ……と、
笑って振り替えることが出来る日が来るように……。
また、自由に行き来が出来る日が来るように……と、願う、鄭 義信のメッセージ。
果たして、そんな日は1000年待っても決して訪れないと確信している僕ですが、
この作品から、夢、またその夢のようなメッセージを受け取り、
実は、無理をしてそんなに仲良くしなくてもいいのではないか?
国と国は平行線でも、僕たち個人、個人の交流が出来ていればいいのではないか……。
半ば、諦めとも悟りとも言えぬ複雑な感情を抱いたのでした。
カーテンコールは勿論、スタンディングオベーション。
それに応える役者陣の晴れやかな顔……芝居っていいなぁと思える瞬間。
この観客席の熱い思いは両国の、そして、日本海を挟んだ隣国の、
ギクシャクとした関係に、何らかの明るい未来をもたらすのでしょうか?


今日の写真は僕のオリジナルの薔薇。
麻実れいさんにお名前を頂戴した「Rei」です。
カタカナ表記は正しくありません。麻実さんからは「Rei」でと言われています。
偉大な大女優と同じ時代に生き、その新作を目の当たりにし、
そして、オリジナルの薔薇にお名前を頂戴する光栄と名誉。
本当に有り難く思います。僕の人生のハイライトです。


2017年12月29日


ブノワ。


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実は、玉木 宏の「危険な関係」……だった。 

 

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小説や戯曲、1つのテキストを元に、
様々な解釈がなされ、幾多の素晴らしい作品がこの世に生まれて来ています。
例えば、シェークスピアの「ロミオとジュリエット」からは、
ミュージカル映画の最高峰「ウエストサイド物語」やゼフェレッリの映画が。
同じ戯曲を元にしていても、解釈や視点を変えると全く違った様相を呈することがあります。
以前、ひょんなことから手にして大好きになったラクロの「危険な関係」。
これは国を変え、時代を変えて何本もの映画になっています。
有名なところでは、ジャンヌ・モローがメルトイユ夫人を演じた現代版「危険な関係」
それからお隣、韓国でも王宮を舞台にした、ペ・ヨンジュンのものがあり、
ハリウッドにおいては、ミロシュ・フォアマンの「恋の掟」、
最も有名なところではスティーヴン・フリアーズの「危険な関係」があります。



まさにプラチナチケットとはこのことで、
通常は出演者に取って貰うことが多いため、
自分でコールセンターなどに電話してチケットを押さえることは殆どありません。
さて、今回はどうしたものか……知り合いが出演していましたが、
チョッと簡単に頼める事情ではなかったため、
文化村の会員だったことを思い出し、先行予約の抽選に申し込んでみました。
な、名、な、なんと、締め切り時間のほんの30分前でギリギリセーフ。
見事当選し、前から2列目の中央のいい席にウキウキドキドキ(笑)
大好きな戯曲がどのように料理されているか?
興味津々、幕が上がり、物語を見ていると……。


もうブノワ。さん、ビックリしちゃいました(笑)
これって玉木 宏のワンマンショウなんですね!
勿論、芝居としてはキッチリ出来ていましたが、
もう始めから終わりまで玉木 宏を鑑賞するための「危険な関係」。
同い年の僕の親友の腐女子が悶絶&気絶しかけた(笑)玉木 宏のそれはそれは美しい肉体!
これはね、見事でした。よく「絵に描いたよう」とか「理想的な」とか言いますが、
こんなに均整の取れた裸は見たことないかも。しかも、それを惜しげもなく披露(笑)
下着1枚になっての大サービスは、客席の女性が息をのみ、
場内が一瞬、真空状態になったかのよう。
全女性の視線は一体どこへ……考えるとチョッと(苦笑)

次第に玉木 宏色が強くなる「危険な関係」……。
カーテンコールまで来て、ようやくこれは玉木 宏の舞台なんだと気付くワタクシ(笑)
だって、普通だったら鈴木京香と玉木宏が同列で最後にカーテンコールのハズ。
実は「危険な関係」が玉木 宏の魅力を最大限に見せる芝居に変わっていました(苦笑)
でもねぇ……僕の中では「危険な関係」は、やっぱり稀代の悪女、メルトイユ侯爵夫人の物語なんです。
フリアーズ版「危険な関係」のラストでグレン・クローズが見せた外連味タップリの演技ね。
己の悪事が露呈し、社交界周知の事実となり、劇場の桟敷席で受けた大ブーイング、
ヴァルモンが死んでポッカリと空いた我が心を覗き愕然とし……。
化粧台をなぎ倒して号泣、狂乱するさまは本当に見事でした。


玉木 宏……それはそれは美しいヴァルモンを見せてくれました。
この方は姿もだけど声がいいですね。堂々としてお見事。
テレビや映画で大活躍ですが、次の舞台が待ち遠しいです。

鈴木京香のメルトイユ夫人……。
この稀代の美女は、意外なことに蓮っ葉な役が非常に良く似合います。
さて、フランス社交界の悪の華……微妙なところではありますが、
既にベテラン女優の貫禄で押し切った感あり。

新橋耐子のロズモンド夫人。ヴェアルモンの叔母役です。
これがまた見事なんです。この酸いも甘いも噛み分けた老婦人役。
そんじょそこらの女優には出来ません。
この時代の女性はことごとく男の言いなりで、性が売り物にされていた訳ですが、
今や、法をもって正義の権化を自ら任じる老婦人ロズモンドも、
実は娘時代にセシルやトゥルーヴェル夫人と同じように、
恋に悩み、若い性を売り物にされ、しきたりの狭間で身悶えし、
そしてその世間体の間をかいくぐって、逆に男を手玉に取り、陰で性を謳歌して来た訳です。
そこは稀代の悪女、メルトゥイユ夫人と何ら変わりはない。
取り澄ました偽善の仮面の下に潜む人情と己の正義感。
その辺りをトゥルーヴェル夫人を抱きしめるところで見せる辺りがお見事。



今日の写真は既に懐かしい部類の1枚……。
木村卓功さんの「セシル・ド・ヴォーランジェ」と、
僕の「マルキーズ・ドゥ・メルトゥイユ」です。
2人の作出家の薔薇が、こうして同じ戯曲の中から命名されるのは珍しいです。
とても面白い趣向だと思うんだけどなぁ……。
僕が木村さんの薔薇に名前を付けさせて貰った訳ですけど、
あくまで今回の舞台の中のセシルではなく、映画版のセシル、
ウーマ・サーマンの美貌にインスパイアされたことを記しておきます。


2017年12月8日


ブノワ。


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演劇の醍醐味……「子供の事情」。 

 

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演劇の醍醐味って何でしょう……。
それは矢張り、役者の声。そして、躍動感溢れる身体の動きでしょうか。
老練な役者の指の先まで神経が行き届いた熟練の演技術も素敵だし、
デビューしたての若い役者の、絶対に演技では表現出来ない爽やかさを感じるのもまた良し。
最近はマイクロフォンの発達で、発声など、さして舞台の訓練が出来ていないタレントも、
その多くが魅力を振りまきファンを熱狂させています。
まぁ、それも舞台の楽しみの一つですかね……。
好きな役者、タレントを自分の目で見られるって言うこと。

そして、舞台の最も素晴らしい瞬間って、
役者と観客席が一つになること……この醍醐味を一回味わってしまうと、
もう舞台芸術の魔法から逃れられることは出来ません。
役者の魔法に掛かり、同じ時代を生き、一緒になって嘆き、哀しみ、
そして笑い、涙する……これを至福と言わずして何と言いましょう。



チョッと前になります……。
三谷幸喜作、演出による「子供の事情」を観に行きました。
一般発売前に出演者に頼んでも希望の日が取れないくらいのプラチナ・チケット!
それもそのハズです……大泉 洋、天海祐希、吉田 羊、小池栄子、林 遣都、
春海四方、小手伸也、青木さやか、浅野和之、伊藤 蘭……。
年齢も境遇も違う役者たちが、皆さん10歳になっての熱演です(笑)

はじめはね、全然10歳に見えないの(爆)
子供服は着ているんですけど、誰、この用務員のオジさんは?みたいなね(笑)
初めから少女に見えたのは、吉田 羊くらいかな?
それがみるみるうちに子供になって行く訳。
子供になるって言うよりも、僕らが彼らの芝居に騙されて行くのね。
それって物凄く心地いいんです。だって、観客って騙されに劇場に通う訳ですから。
出演者それぞれの10歳の役作りも面白かったし……。

伊藤 蘭なんて、子役で大スターの役なんだけど、
1人だけ超厚塗りの巻き髪スタイルで、嬉々として少女スターを演じるのね。
一歩間違うと「何がジェーンに起こったか?」になっちゃういんだけど(笑)
彼女がスターとして生き抜いた「キャンディーズ」を踏まえて、
観客はそこに10歳の少女スターを重ねて見る訳。

大泉 洋って達者ですねぇ……。
彼は喜劇畑の人なんだと思うけど、
同じく三谷幸喜の大河ドラマ
「真田丸」のシリアスな演技!
これでさらに役の幅を広げ、魅力が一層、増したのですが、
ここでもピカイチの達者振り&歌声を披露。

僕は日本のソフィア・ローレンだと思っているのだけれど、
小池栄子の天真爛漫さ、子供ならではのチョッと悪ぶり。
もう少し緩急付くと面白いんだけどな……。
今回はチョッと直球一本やりだった感があります。


終幕、これはこの劇場ならではの豪華極まりない演出なんですが、
一般的に劇場はそのステージと同じ広さを両袖に、
そして、舞台の奥にもう一つ分同じ広さのスペースがあるのが望ましいとされています。
子供たちがワイワイがやがややっていると、
教室の一杯セットの舞台が奥に、奥にとスライドして行きます。
何と奥に2つ分も引っ込んで行き、そこから役者たちがダァ〜っと走って来て幕になる……。
その瞬間、それまで大して10歳の子供に見えなかった役者たちも、
いきなり10歳の子供になってしまうマジック。背丈まで小さく見えるの。
観客は自らの10歳の時のことを思い出し、
登場人物に重ねあわせ、追体験をする……。

こんな幸せはなかなか味わえません。
やっぱり舞台はいいなぁ……再演があったらもう一回観に行きたいなぁ……。
チョッと幸せな一時でした。


写真はこの前訪れた、大阪は新世界での1枚。
名前忘れちゃった……メガ盛りで有名な店先で撮りました。
「That's 子供」ですね(笑)捲りますよね、子供は(爆)


2017年8月25日


ブノワ。


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ふるあめりかに袖はぬらさじ。 

 

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杉村春子さんには色々なことを教えて戴きました。
僕は役者ではないので、同業者として、役者のあれこれではないけれど、
人生の大先輩として、所謂、背中を見て覚えるって感じでしょうか……。
面白いエピソードは前に書きましたよね。

その杉村さんの新しい本が出ました。
川良浩和著「忘れられないひと、杉村春子」です。
知らなかった生前の杉村さんの姿が垣間見れて大変に興味深かったです。
杉村さん関連の本は沢山出ていて、自著、評伝を含めると10冊近くになります。
興味深いのは、杉村さんは「杉村春子」のタイトルで、
高橋克郎と春内順一の写真集が2冊が出ていることでしょうか。
勿論、杉村さんはグラビア・アイドルではありませんから、
2冊とも舞台の杉村さんを収めた貴重な写真集になっています。
写真を撮るために、わざわざ照明を当て、ポーズを取ることなく、
実際に舞台で演技をしている、その一挙手一投足を撮影。
笑う顔、泣き崩れる姿……どの瞬間を切り取っても美しいのが凄いです。

前にも書きましたが、杉村さんは「形」の人だと思います。
新劇の枠に捉われず、新派の喜多村緑郎に教えを請うたり、
歌舞伎役者、尾上松緑と共演したりするうちに形成された美しい「形」……。
「形」を通して、女の美しさとはこうあるべきだと提示します。
演劇のどの形にも属さない独自の「形」を持った唯一無二の存在、
新派公演に客演した時、花道を出て来た杉村さんに「杉村!」の声が掛かります。
日本の演劇史上においても希有な存在、真の大女優だと思います。



さて「忘れられないひと、杉村春子」の中にも記述があった、
有吉佐和子の傑作戯曲「ふるあめりかに袖はぬらさじ」の舞台を観てきました。
言わずと知れた、有吉佐和子が杉村さんに当てて書いた傑作戯曲です。
主演は大地真央。他に、佐藤B作、鷲尾真知子、横山 正、斉藤 暁、
浜中文一、中島亜梨沙など。演出は宝塚歌劇団の原田 諒。

大好きな戯曲なので、大慌てでチケットを取りましたが、
チケット・センターに電話をしてチケットを無事にゲット!
電話を切った瞬間、チラシを見て大きく深く激しく後悔しました。
お、お、お、お、音楽劇……って一体?(苦笑)
勿論、戯曲はテキストですから、どのように料理するかは演出家の自由です。
シェイクスピアの「ロミオとジュリエット」からは優れたミュージカル、
「ウエスト・サイド・ストーリー」が生まれ、
その他にもあらゆるジャンルにわたって作品が生まれています。

ただ、いきなり幕があがると芸者衆を引き連れた大地真央のレビュー……。
その後も、合間合間に挟まれる歌が興を削ぎます。戯曲の流れを断ちます。
決定的だったのは、最終幕、お園が勤王の志士たちに脅され、
雨にびしょぬれになりながら言う幕切れの台詞。
腰は抜け「あぁ……怖かった。」と震えながら、
お銚子から余った酒を小鉢に移してグビグビとあおり、

 「抜き身が怖くて刺身が喰えるかってんだ!」

と、啖呵を切ります。
一人で生きて来た三味線芸者の心細さと強がりが垣間見える、
この戯曲の一番の見どころ、たった1人の大ラストシーンです。
しかも杉村さんは客席に背中を見せながら演じます。
そして、最後の名台詞……。

 「このお園さんと来た日にゃ、袖からなにまでびしょぬれだよ……。」

次第に強くなる雨の音……。
 
 「それにしてもよく降る雨だねぇ……。」

この2つの大事な大事な台詞の間に思った通りに歌が入るの。
この圧倒的な間の悪さとセンスのなさ(苦笑)
死にかけている猫の娼婦が大声で歌を歌う「Cats」」似ている(苦笑)
ここで歌を入れるかい?どんなセンスしているんだか。
戯曲はズタズタに切り刻まれ、死んだ花魁が出て来て歌い舞ったり……。
解釈は自由ですが、吉原から品川、そして横浜に流れ着いた、
三味線の腕はピカイチだけど、男と酒で身を持ち崩した三味線芸者、
お園の悲しさと、苦界で身を粉にして働く人々の悲哀なんて言うものは微塵も感じません。

そう、この戯曲の最大の魅力はお園の人間臭さです。
有吉佐和子が杉村さんの普段の言葉使いを元に当て書きしたのです。
生身の人間、流れに流れて来た三味線芸者の悲喜こもごもが魅力なのに、
美しいことだけに執着した大地真央からは人間臭さが感じられません。
それは致命傷です。お園は美しくある必要はないのですよ。

もう冒頭から怒り心頭だったのに、紛々たるこの思いをどこにぶっつけよう。
大地真央を美しく見せるためだけの題材に選ばれた悲劇の戯曲。
較べてはいけないけれど、芸術って比較文化ですからね。
どの瞬間を切り撮っても美しかった杉村春子と、
美しく見えることだけに腐心しているように見える大地真央。
自然に転んだように見える「形」で着物の褄が捲れて美しく見える杉村さんと、
転ぶ際に褄を両手で捲るようにして転ぶ大地真央の差。

 「二上りでしたかねぇ……。」

但し、ピンで三味線を弾きながら堂々と大きな声で歌う様はお見事。
三味線を弾きながら歌う乗ってなかなか難しいのです。

何が何でも杉村春子が一番と言っているのではありません。
有吉佐和子が杉村さんに当てて書いた傑作戯曲だと言うことを忘れてはいけません。
その自分の言葉で当て書きされた杉村さんでさえ、
後半の講談調のところは恥ずかしくてなかなか思い切り出来なかったとか。
魅力的だけれどそれだけ難しい戯曲だと思うんです。
役を演じきり美しく見えた杉村さんと、美しく演じることに執着した大地真央。
こちらは較べることの方が酷ですか……。
観劇料13000円……これをどう思うか?悩ましいです。

写真は我が家のお園ちゃんね。


2017年8月2日


ブノワ。


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大女優の条件……麻実れい。 

 

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 「そうだねぇ……先ず、春子さんね。」

最近はめっきりと出歩かなくなり、
行きつけのバーも殆どなくなってしまいましたが、
唯一、新宿に出掛けると無理をしてでも顔を出すバーがあります。
映画、演劇、文筆業の方々が客筋の隠れ家的バーです。
当然、マスターもそちらの方には造詣が深く、
可成り辛辣な意見を言うことでも有名です。
辛辣と言うのは生易しいかな……可成りの毒吐きです(笑)
遊びに来る女優たちは全て名前を呼び捨て(笑)
もっとも、その毒の陰には深い愛情が隠されているんですけどね。

気心しれたマスターと、いつも話題に上るのは女優のこと。
日本においての大女優とは誰のことか?
そのマスターの答えが冒頭の台詞になります。
僕も全く依存はありません。先ず、名前が挙がるのが杉村春子です。
若い人や舞台をあまり見ない人は怪訝な顔をするかもしれませんし、
往年の杉村春子の類い稀なテクニックを知る人も少なくなって来ましたが、
先ずは杉村春子……圧倒的でした。新派の喜多村緑郎(初代)や、
花柳章太郎から伝授された女形の「形」の美しさは別格で、
それを新劇の中に生かした、一種独特の芝居は他の追随を許しませんでした。
そう、杉村さんの凄いところは「形」があったこと。そして抜群の台詞術。
もっとも、仕方ないなぁと思うのは、彼女が作った文学座の中堅どころの俳優でさえ、
往年の彼女の舞台を観たことがない人が多いこと……時代は変わりました。
杉村さんの凄いところは、役者の本懐である舞台で大スターだったこと。
それから舞台のみならず、映画においても非常に重要な役割を果たしたこと。
主役作品こそ少ないですが、名だたる名監督に愛され使われ、
日本映画史に燦然と輝く存在です。舞台、映画のみならず、
テレビでも活躍した大スターでした。
僕の持論ですが、大女優の条件とは、1人で悲劇を1本背負って立てること。
それが大女優の条件、それ以外のなにものでもありません。

他に名前が挙がったのは、山田五十鈴、高峰秀子、
京 マチ子、田中絹代、若尾文子……などなど。
山田五十鈴以外はほとんどの方が映画の世界の大スター。
大女優と言う呼び方よりも大スターの方が相応しいかな?
娯楽の王さまが映画だった頃がしのばれますね。
大女優とは……この話題はいつも大盛り上がりなんです(笑)



さて、現代の大女優、麻実れいの「炎 アンサンディ」の再演を観て来ました。
初演と同じスッタフ、キャストの再演です。
少し前に惜しまれながら亡くなった平幹二朗の最大の美点はその声でした。
劇場に朗々と響き渡るその声に、観客はウットリと酔いしれたものです。
今、女優で、唯一、その声に匹敵するのは麻実れいです。
今回も十代から亡くなる六十代までの悲劇の女性の運命を、
それほど声色を使うことなく、圧倒的な台詞術で見せてくれました。
初演の時のラストで、ぽぉ〜ンと突き放されたように感じて、
大きく揺さぶられた心をどう納めていいか分からなくなり戸惑った観客も、
今回の再演のラストの変更によって、一旦は放り出された心を、
最後の麻実れいの卓越した台詞(声)で納まるところに納めて貰った……。
そんな感じがしました。劇場を大きく包み込む圧倒的な声。
全く同じキャストによる再演も、よりこなれて解釈が深まったように感じます。


今回は2回ほど鑑賞しました。
千秋楽では拍手が鳴り止まず、何度も何度もカーテンコールが……。
偉大な女優と同じ時代を生き、新作を待ち焦がれることが出来る幸せ。
この夏には「Other Desert Cities」があります。
演出、熊林弘高、麻実さんの他に「炎 アンサンディ」で共演した中島しゅう、
それから「おそるべき親たち」で素晴らしい演技を見せてくれた佐藤オリエ共演。
こちらも本当に楽しみです!

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今日の1枚目は、昨日の午後に撮ったばかりの「Rei」。
ダマスク・モダンの素晴らしい匂いがします。
薔薇の匂いはこうあるべきと言わんばかりに匂い。
美しい姿に素晴らしい匂いを期待して……決して裏切らない匂い、
2枚目の写真は前にもお見せしましたね。
前の公演の時でしたが、栽培がヘタクソな僕が必死に育てた薔薇を花束にして、
麻実さんの楽屋に差し入れです。大層、喜んでくださったそうです。
落ちた花びらは洗面のボウルの廻りに飾ったり、ドライにしてご自宅に持ち帰られたとか。
偉大な女優に薔薇の名前を戴いた身に余る光栄。
今にして思うとまるで奇跡のようです。


2016年5月8日


ブノワ。


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なぜもこう貧弱なのか? 

 

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いよいよ春らしくなって来ました。皆さん、庭の準備は万端ですか?
芽吹いた新芽、土の中から顔を出す球根類の新芽は本当に愛らしいですもんね。

僕は3月は年度末でバタバタ、昨日、何をしていたか全く覚えていない記憶喪失状態、
疲労困憊で死亡寸前でございます(笑)時間的な余裕がないのにも関わらず、
3月は誕生があるのでお祝いの席が目白押し、お祝いメールも目白押し。
来月は友人が出演する芝居が目白押しで、さらに疲れに拍車をかけています。
演劇って春と秋がシーズンらしいですね(苦笑)
まぁ、いい舞台に出て顔が輝いている友人の顔を見るのは嬉しいものですけどね。


さて、今日はこのブログで最も人気がないカテゴリー、
映画&演劇、劇場にまつわるあれこれについてチョッと……。


と言っても、映画、演劇評ではなくて、今日のお題は劇場の施設について。
皆さんはお気に入りの劇場とか映画館ってありますか?
諸々の雰囲気、立地条件、スタッフの感じの良さ等……。
映画館なんかだと、立地に寄っては客層が全然違いますからね。
僕は出来れば六本木とか新宿には行きたくない(笑)
両方ともポップコーン率が高くなって上映中の雑音に繋がるの。

さて、いつも思うんですけど、劇場って女性のトイレが圧倒的に少ないですよね。
男性と違って女性の方が用を足す時間が掛かるって言うこともあるけれど、
赤坂ACTシアターなんか幕間にロビーに長蛇の列。
幕が降りるか降りないかのうちに脱兎の如くトイレに走る女性たち……。
ロビー、凄く狭いのに、ダァ〜ッと長蛇の列(苦笑)しかも最後尾に、
「トイレ待ちの最後尾はここです。」みたいな看板を持った係の青年が……。
僕が女だったらトイレに並んでいるところを人に見られたくないなぁ……特に恋人にはね。
デリカシーないし情緒もない。100年の恋も醒めちゃうじゃない?
好きな人にはそう言う下々のことは全くないと思われたいじゃないですか(笑)

その昔、武道館にフリオ・イグレシアスが来た時に友人が目撃した光景……。
男子トイレにオバちゃんたちが大挙して押し掛けてきたそう(笑)
待てなかったんでしょうね(笑)我慢できなかったんでしょうね……。
友人曰く、まさになだれ込んで来るように我先にオバちゃんたちが入って来たそう(笑)
とうとう我慢出来ず、皆で入ればコワくない的な心理も働いたのでしょう(爆)
友人たちは便器の前でズボンのファスナーを開けて……な訳です。
可成りコワかったそうですよ。その年代になると恥とかの感覚もなくなっちゃうのでしょうか。

不満を言いだしたらキリがないけど、最後に一つだけ……。
劇場の椅子ってどうしてあんなに狭くて座りにくいんでしょう?
日本人の体格って近年、格段に良くなってきているのに……。
大柄な2人が並んじゃうと窮屈そのもの。肩身の狭い思いをしなければいけません。
ダークダックスをやらないと行けない訳……チョッと古いか(笑)
小劇場系の芝居で折り畳みのパイプ椅子に座らされることもあるけれど、
こちらは入場料と芝居の規模を考えれば文句は言えないのですが、
日本を代表する大劇場の椅子!先ず、芝居を見る環境ではないですよね。
内装が豪華絢爛たる「日生劇場」も椅子が貧弱……。

思わず頷いちゃう人もいると思うけど、
とっくに閉館になった「シネマスクエア東急」の1脚4万円以上する、
背もたれから出た頭を支える余計な部分の角度が非常に不愉快だったフランス製の椅子。
後頭部を後ろから押さえつけられているみたいで何とも居心地悪かったです。
映画館って座席の後方と前方ではスクリーンを見上げる角度が違いますからね。
こちらも閉館になった「セゾン劇場」の座面が途中から折れるタイプの最悪の椅子!等々、
これは参った……ちょうどふくらはぎのところに異物がある感じ。
椅子に座るポジションって人それぞれですからね。
劇場の椅子に関する不満は枚挙にいとまがありません。

僕、世田谷パブリックシアターが好きなんですが、ここも重厚な内装に反して椅子が小さくて貧弱。
特に2階席3階席は最悪です。椅子が小さくて前の列との感覚がエコノミークラス級(苦笑)
映画館、特にシネマコンプレックスの椅子の方が座り心地良くて快適なのはなぜ?(笑)
恵比寿ガーデンシネマの椅子なんてとても座りやすくて全く疲れません。

人間工学だか何だか知らないけれど、
勝手に作り上げた机上の空論、ヘンチクリンなデザインが多いです。
今日の写真はパリ郊外で撮りました。RER(近郊線)B線の終点、
サン・レミ・ル・シェルヴーズ、北駅から丁度一時間くらいかな?
そこからバスで30分ほどの「ポール・ロワイヤル修道院跡」。
殆ど訪れる人もいないここは、静謐な時間が流れています。


2015年3月27日


ブノワ。


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台詞はリズム……「華岡青洲の妻」。 

 

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 「それを加恵(かえ)さんはぁ……知ってなしたんかのしぃ。」

舞台「華岡青洲の妻」の第三幕の幕切れ、青洲の母、於継(おつぎ)の台詞です。
姑の於継と嫁の加恵(かえ)はまるで青洲の愛情を独り占めするための手段のように、
競い合って実験段階の危険な麻酔薬を飲みます。
いくら今だに若々しくて美しい母とは言え、年寄りには強い薬を飲ますまいと、
青洲は母の於継には眠り薬のように弱い薬を、妻の加恵には本当の実験用の強い薬を飲ませます。
最初に飲んだ薬によって目を傷めた加恵は、次に飲んだ薬で完全に盲目になってしまいます。
薬を飲んだ後の寝起きがいい方があたかも女として、また、人間として優れている、
それが嫁の加恵に勝った証かのように、青洲の愛情を独り占め出来るかのように錯覚していた於継。
てっきり加恵と同じく強い薬を飲んでいたものと思い込んでいます。
勿論、自分の時は目覚めも良く、「目が痛い。」と青洲に訴える加恵を、
折角の実験なのに何といたらない嫁、矢張り自分の方が優れていると……。

 「同じ薬を飲んだのに、なんで加恵さんだけが……。」

と、言う問いに青洲は絞りだすような声で……。
 
 「加恵の方が強い薬をのんでましたんやぁ!」

息子の口から出た衝撃の言葉、事実に於継は絶句し、件の台詞になる訳です。
息子の実験のためと言いながら、実は、この時点でもまだ嫁に勝つことばかりを考えている於継。
於継の思わず口をついて出た質問に勝利の微笑みを薄らと口元に浮かべ頷く加恵。
絶句し、身体を震わせ号泣しその場に崩れ落ちる於継……。
於継がまるで枯木が倒れるように亡くなったのはそれからスグのことでした。

この名場面が第三幕の終わりになり、第四幕目は於継の出演シーンはありません。
この原作にはない台詞、これを抑揚たっぷりに、大見得を切って歌い上げることによって、
第四幕に於継は出ない訳だけれど、その存在感を最後まで引っ張る大事な台詞です。
於継を当り役とした杉村春子は、一幕から三幕まで、流暢な紀州弁を駆使し、
リズム感タップリの抑揚を付け、流れるような台詞回しで観客を魅了します。
その台詞術の心地よさはまるでオペラのアリアのよう。

舞台は華岡家の玄関先から通じる広間だけの一杯道具。
舞台上で杉村春子が長女の於勝に手伝わせながら着物を着替えるシーン、
紀州弁で台詞を言いながらアッと言う間に着替えてしまう、
そのあまりの早さと見事さに場内からは大拍手が起きる場面もありました。

今では殆ど話す人もいないであろう江戸時代の紀州弁、
おそらく基本は関西弁で、語尾に接尾語の「のし」「よし」「とし」などが付きます。
この紀州弁に俳優陣は非常に苦労し、
自分の言葉にするのに並大抵な努力を強いられたとか……。
杉村さんも僕にこう仰言られていましたっけ。

 「そりゃぁ、アナタ。本当に大変でしたよ。
  だって、そんな昔の紀州弁なんて聞いたことないですからねぇ。」

話しを於継の最後の台詞に戻すと、
「加恵さんはそれを知っていたのかのし。」ではなく、
「それを加恵さんはぁ……知っていたのかのしぃ。」とするところに、
舞台を知り尽くした作者の有吉佐和子のテクニックとケレン味があります。


麻酔薬の開発に躍起になる青洲、
犬や猫の動物実験では成功を収めるものの、残るは人間による実験のみ。
そこに青洲の愛情を独り占めしようと必死の嫁と姑が名乗りを上げます。

於継 「麻酔薬の人体実験は 私(うち)を使ってやりなさい。」
加恵 「とんでもないことでございますよし。
    その実験には私を使って頂こうと かねてから心に決めていましたのよし。
    あなた、私で試して頂かして。」

加恵 「姑にそんなことをさせたら嫁の道が立ちません。私を使って頂きますよし。」
於継 「嫁の道が立つときは、姑の道が立たんのですよし。
    云い出したのは私なんやよってに、私が使ってもらいますよし。」

於継 「姑に逆らいなさるのかのし。」
加恵 「はい。事と次第によっては、女の道に外れるとは思いませんのよし。」

それまでは決して正面切って言葉でぶつかることがなかった於継と加恵、
真綿に包んだ針や薄布に隠された研ぎすまされた刃のような迂遠な言葉の応酬はあったけれど、
ここに来て初めて心の底の憎しみを畳み掛けるように直接相手にぶつけます。
それも夫を、息子を思いやるそれぞれの愛情と言うオブラートに包んで、
青洲を思わんばかりのために、麻酔薬のためにと言う大義名分の上に立って酔うように……。
加恵は姑を「老い先短い」「お齢を取り忘れたお方」、
お継は加恵を「女の子一人しか生んでいない役立たず」、
「夫の欲していることも分からない阿呆」と誹る……。

小さい頃、美しくて賢いと噂の於継を一目見たくて乳母に懇願し、
わざわざ隣村まで足を延ばし、こっそりと垣根越しに、
白い曼陀羅華(まんだらげ・朝鮮朝顔)が咲く薬草園で初めて見てから、
あまりの美しさに憧れ続け、青洲が京都に蘭学の勉強で留守中に、
於継によって見初められ、姑と嫁が相思相愛で夫の不在中に一人嫁入りして来た加恵……。
その仲の良さ、睦まじさは、於継自身が、

 「我が腹を痛めたのでもないのにお母(か)はんと呼ばれ、
  私(うち)も実の娘以上に愛しと思うのですよってに この因縁は、
  まあ はかり知れやんほど深いものなんですやようのし。」と、言わしめ、

実の娘のお勝と小陸をして、
  
 「なんや、私(うち)ら急に継子(ままこ)になったみたい。」と嘆かせるほどでした。

まだ見ぬ夫が、最愛の息子が不在中はこの上なく上手く行っていた嫁と姑の関係が、
息子、青洲が京都から帰って来ると一変します……その手の平返しの演技の素晴らしさ、
理屈ではなく息子を思う気持ちから自分が見初めて懇願して迎えた嫁を本能で憎んでしまう於継………。
劇場内の女性はそれぞれ嫁と姑の立場に自分を置き換え、
自分の気持ちに照らし合わせ大きく頷き、共感し、愕然とし、
男性は我が身を振り返って、果たして自分の家はどうなのだろうかと戦々恐々とします。

於継ぎ亡き後、首筋に出来た血瘤に苦しむ小陸に、

 「目が潰れるほど強い薬、恐い薬と知りつつ
  お母はんと薬を飲み比べしたのは何でですのん?」

と、詰め寄られ、薬のために完全に盲目になった加恵は、

 「お母さんは賢い立派な方やったと、心底から思ってますのよし。
  私はお母さんに育てられたんやしてよし。泥沼だったなどと滅相もない。
  私ほど姑運のいい嫁はこの世にいないと思うていますのよし。」

と、答えます。それを聞いた小陸は一言、
 
 「それは嫂(あね)さんが勝ったよってやわ。」と言います。

………………………………………………………………………………………………………………………………………………………………

華岡青洲…………。

1804年に世界で初めて麻酔薬による外科手術を成功させた紀州の外科医。
今ではクイズにも出題され知名度はなかなかのものですが、
その麻酔薬を完成させるまでの秘話はあまり知られていません。

青洲の母、於継と妻の加恵…………。

二人が自分の身体を競って人体実験に提供したという美談は有名でも、
その陰で陰々欝々と繰り広げられていた嫁と姑、女と女の戦いはあまり知られていません。
才女、有吉佐和子がそこに材を取り書き上げた「華岡青洲の妻」。
これほど迄に人気を博し、長年に渡って愛読され、テレビ化、映画化され、
舞台化されるも、再演につぐ再演を繰り返す最大の理由は、
いつの世も変わらない嫁と姑の問題、どの家も抱える嫁姑の問題もあるのでしょうけど、
ひとつは有吉佐和子の心の襞、感情の起伏の一つ一つを抉り出し、
分析するように書き上げた小説を題材に、自らの作品を遠慮なく切り刻み、
無駄を一切削ぎ落とし、戯曲として再構築した手腕と度胸、
舞台を知り尽くした上での作劇法があまりにも見事だったから他ありません。

杉村春子の於継があまりにも見事だったことから、ついぞ忘れられがちなのは、
タイトルにあるように、実は青洲の妻、加恵が主役のこの舞台、
大人しいけれどしっかりものの小姑、小陸の最終幕の台詞、

 「嫂(あね)さん、私(うち)は細大もらさずみんな見ていましたのよし。」にもあるように、

姑、於継と妻、加恵の氷の刄のような凄絶な確執を、常に脇から小陸に冷静に見させることによって
二人ののきさしならない関係が浮き彫りになります。芝居において脇役が非常に大事な好例です。
我先を競って麻酔薬の実験台になろうとする於継と加恵、
二人の関係を知っているハズなのに黙りを決め込み、まんまと人間の実験台を得る青洲の男のズルさ。
今も昔も変わらぬ家族関係の難しさ、嫁と姑の問題、男と女の問題……。
「華岡青洲の妻」は、そんな誰しもが抱えている問題を凝縮して目の前に提示してくれる傑作戯曲です。

………………………………………………………………………………………………………………………………………………………………

その杉村春子さんの誕生日にあたる1月4日……。
箱根の帰りに日本橋三越劇場にて新派公演「華岡青洲の妻」を観て来ました。
加恵を演じたこともある、水谷八重子がお継を好演。
波乃久里子の丁寧な小陸が最終幕まで舞台をキッチリと引き締めます。
喜多村緑郎の男気、なかなかのものでしたが、
今回、一番の収穫は、矢張り歌舞伎の世界から新派に移籍した、
喜多村一郎の鮮やかな口跡と、惚れ惚れする男前な立ち姿でしょうか。
現代劇からシェークスピアまで何でもこなせてしまいそうです。
まだまだ若い喜多村一郎の今後の活躍が楽しみです。



僕は何一つ親孝行をしないまま母に先立たれてしまいましたが、
母には嫁と姑のゴタゴタを味わわせることなかったのですから親孝行出来たと言えるでしょうか?(笑)
皆さんも是非、機会がありましたら恐ろしい嫁と姑の話しを覗いてみて下さい。


2017年1月19日


ブノワ。


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俳優の格……「かもめ」に思う。 

 

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ある一枚の写真を見て驚きました……。
今、絶賛上演中の「かもめ」の宣伝用のキャストの集合写真です。
まるで、チェーホフが「モスクワ芸術座」の面々と本読みをしている時の有名な写真と同じ構図です。
何と言う洒落た遊び心!いやがうえにも期待が膨らみます。
今、日本で最も信頼のおける、演出、熊林弘高と、上演台本、木内宏昌のコンビですしね。
佐藤オリエさんから1年くらい前から台本作りに参加していると伺っていましたし……。

アントン・チェーホフ作の「かもめ」……原作には「喜劇4幕」とあります。
今まで来日した「モスクワ芸術座」をはじめとして、数多くの「かもめ」を観てきましたが、
この「喜劇」を感じることは殆どありませんでした。
演出としての笑いではなく、台本そのものから匂い立つ喜劇のエッセンス。
そこはかとなく漂う喜劇の匂いを「かもめ」から感じたのは初めてでした。

デザインの違う椅子、巨大なカーテン、ピアノ……舞台には少ない小道具のみ。
7組の擦れ違う恋愛、トレープレフとニーナの恋を軸に、
それぞれの恋が輪廻のようにお互いに影響を与えながら回転していきます。
その中で、当時に限らず、今の代も変わらずに試行錯誤され、
語られる芸術のありようを演劇の皮を借りて論じていきます。
今を煌めく旬の若手に加え、老練な演技術のベテランがキリリと要所を締めます。



俳優には「格」と言うものがあります。
それはマスコミが囃したて、2時間ドラマの主役をやれば大女優……的な、
大根畑に大女優がゴロゴロ……何て言う思わず苦笑してしまう悲惨な笑い話ではなく、
例えば、チェーホフで言えば、この作品のアルカージナや「桜の園」のラネーフスカヤ夫人、
テネシー・ウィリアムズの「欲望という名の電車」のブランチ、
シェークスピアのマクベスやリア王に配役された時に、
その俳優の「格」が顕になります。「格」言うより「分(ぶん)」と言った方が分かりやすいでしょうか。
演劇史上の名立たるキャラクターに相応しい「格」を持っているかどうか……。
分不相応な配役は役者にとって恥ずかしいものになってしまいます。


アルカージナを演じた佐藤オリエ……愛らしくて嫉妬深い大女優を好演。
彼女の卓越した台詞術は、囁く声まで客席の最後列までキッチリ聞こえます。
アルカージナは偉大な女優で一人息子を溺愛していますが、
年齢を顧みずに若い作家トリゴーリンとの愛に溺れています。
佐藤オリエの圧倒的な演技力、演出の熊林弘高とは同じ役で2度目のタッグです。
勿論、彼女には大女優のとしての「格」があります。
アルカージナに相応しい格。若い女優の卵に嫉妬する姿に滲み出る余裕のオーラ。

ニーナを演じた満島ひかり。
女優になることを夢見てモスクワに出てトリゴーリンとの間に子供を設けるも、
やがて子供を死なせ女優としても惨めな境遇に……。
この役も役者の「格」を問われる新進女優の登龍門。
ニーナやハムレットを演ると言うことは、その時代の若手ナンバーワンであることの証明です。
但し、その後、順風満帆に行くかどうかは別問題ですが……。
夢破れてトレープレフの元に戻った後の、未来へ向ける情熱が再燃する辺りが一筋の救いです。

トレープレフを演じる坂口健太郎……まさに旬の人。
失礼ですが、意外に達者で驚きました。同行の坂口健太郎ファンの女子は、
楽屋口に出て来て友人たちと歓談している坂口くんをガン見(爆)
僕にとってはただただあの髪型が不思議以外の何者でもないんですが……。

田中圭のトリゴーリン。
上演が1年早かったら彼がトレープレフでしょう。
それだけ新しい才能が台頭してきている証明です。
自らの才能に自信を持ちながらも、若いトレープレフの才能を知り焦りを感じます。
次から次へと舞い込む仕事に流れ作業的な文筆業に辟易。
どんなに頑張ってもトルストイやゴーゴリ、ドストエフスキーには到底及ばない、
自身の才能の限界も重々承知。ずっと年上の大女優アルカージナの、
若い燕に甘んじている自分にもほとほと自己嫌悪を感じています。
どこか投げ遣りなトリゴーリンを若い田中圭が好演。

中島朋子……脇でキラリと輝きます。
しかし、マーシャに中島朋子とは!何と言う贅沢な配役。
小林勝也……枯れて来た役者の色気みたいなもの?いい味でした。
他に、あめくみちこ、渡辺 哲、山路和弘、渡辺大和。
アンサンブルが一際際立つ「かもめ」……本年度必見の作品です。


2016年11月18日


ブノワ。


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巨星墜つ。 

 

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早朝から驚きのニュースが流れました……。
平 幹二朗さんが亡くなったのです。まさに寝耳に水、青天の霹靂、
つい先日、三軒茶屋で「クレシダ」の圧倒的な演技を見たばかりでしたから……。

これが長の闘病を知っていたのなら、どこかやっぱりの得心もしますが、
何でもお風呂場での事故だそうです……本当に残念です。
日本の演劇界は掛け替えのない不世出の大俳優を1人失いました。

僕は平さんの全ての芝居を観ている訳ではありませんが、
同じ時期に生き、その素晴らしい演技を目の当たりに出来た幸運、
平さんの演技から受けたインスピレーションは計り知れないものがあります。
本物を見たからこそ見えて来る色々なもの……。

シェークスピアを筆頭に、どの舞台においても圧巻の台詞術が目を引きます。
朗々と威厳に満ちた台詞術……その劇場空間に響き渡る声色は、
一人一人の観客を包み込む魔法の声。僕たち観客をあらゆる時代へと誘います。
時に見上げるだけで登頂不可能な雄大な山、時に底も見えぬ海のように……。
矢張り、役者は「声」だと思わせてくれる偉大な俳優でした。
どの舞台も存在感溢れる素晴らしいものでしたが、
僕が印象深く思い出すのは、三島由紀夫原作の「鹿鳴館」(2004年上演)で、
佐久間良子と愛息子の平 岳大と共演した時の影山伯爵役です。
冷徹で残忍で、研ぎすまされた刃のように尊大な影山伯爵。
愛だの恋だの人情だの、人としての温かい感情と言うものを蔑み、
忌み嫌う伯爵が、自分の妻と前の恋人の清原の間に流れる真の愛情に気が付いた時、
身悶えするような嫉妬の感情に苛まれ、自らの中に存在した嫉妬と言う、
おおよそ俗人の感情に驚愕し、自らの中に流れる温かい血に愕然とし、
人としての感情に流されまいとして奸智に長けた策略をろうする辺りの、
苦悶する姿を威厳ある台詞と大きな芝居で表現していました。



巨星墜つ……。

まだまだこれからも素晴らしい舞台を見たかったのに……。
平さんから受け取った美しきものへの審美眼、
身をもって見せてださった舞台の本物のあり方は、
決して忘れることなく一生の財産になることでしょう。
二度と現れることのない大俳優に心からの感謝と尊敬の念を込めて、
心よりご冥福を祈りたいと思います。


2016年10月24日


ブノワ。


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